Scene.3-1
どうして? 何で?
突然の出来事で、頭の中はパニックを起こしていた。
どうして、川崎先生が――……。
驚きすぎて口が利けない私の顔を確認するように覗き込み、センセが訊ねる。
「水上、だよな……3−Aの」
黒いパーカーにデニムのスカート、それにスニーカーという私服スタイルだったからだろう。
この状況で「違います」なんて嘘を通せる気はしない。私は、頷くだけの返事をする。
「何で俺が呼び止めたかは、わかるよな……?ちょっと今、時間あるか」
有無を言わさない、恐いと感じるくらいの真摯な眼差し。
その厳しい視線を浴びることに耐えられず俯いて、やっとのことで「はい」と短く答えた。
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時刻は22時過ぎ、だった。
この時間に開いているお店となると、24時間営業のファーストフード店か、ファミレスといったところだろう。
成陵から近く、そして先ほど出てきた『Rose』からもさほど離れていないファミレスに連れて行かれる。
此処は、たまに『Camellia』の連中と話し合いをするときに使う、あのファミレス。
それが――今、目の前に座っているのは、私が成陵で最も教師として尊敬している……川崎センセなのだ。
どうして、何で、こんなことに?
適当に注文を済ませると、早速、とばかりに川崎センセが切り出す。
「水上、どういうことなのか説明してくれないか」
………。
川崎センセの口調が咎めるようで、それが自分の状況の剣呑さを表しているような気がする。
やっぱり、川崎センセに見られていたんだ。
私が、あのラブホテルから出てきたところを――。
『僕たちが今まで使ってたあのホテル、今学校のセンセ方が定期的にパトロールしてるって話だ』
『そう、つまり、成陵の生徒が出入りしてないかチェックしてるってこと。学校側も警戒してるんじゃないかな』
先日、鳴沢が言っていたことが具に蘇る。
危惧していたことが現実になってしまった。
やっぱりパトロールの日だったんだ。しかも、よりにもよって川崎センセが担当だなんて……。
言い訳を考えなければいけないということと、見つかったのが川崎センセということが、私をなかなか冷静にさせてくれない。
考えなきゃ、考えなきゃ、考えなきゃ。私があのホテルから出てきた理由を。
「お待たせいたしました、アイスコーヒーでございます」
そんな私の焦りを他所に、時間はどんどん過ぎていく。オーダーしたのはつい一瞬前だったはずなのに、
ウェイトレスの女性は私とセンセの手元にドリンクを置いて去っていった。
私が黙っているからか、痺れを切らしたセンセが先に口を開く。
「水上が出てくるほんの少し前、スーツ姿の五十代くらいの男が一人で出てきたのを見たんだ」
意図しなくても、私の肩が跳ね上がった。瀬野だ――瀬野の姿まで見られている。
そうか、普通一人でラブホテルから出てきたりはしない。だからおそらく川崎センセは、瀬野と私が一緒に居たと思っているんだ。
センセの頭の中では、私と瀬野が援交を―――想像しただけでも吐き気がする。
「水上? 大丈夫か?」
センセの口調が少しだけ柔らかくなる。
気分が悪くなりそうだった私が、口元に手を添えているのを見て気を遣ってくれたのかもしれない。
「はい……」
私は俯きながらもそう返事をした。
押し黙ったままの私が返答したことで、更に私から話を引き出せるかもしれないと思ったセンセは、
「なあ、水上。教えてくれないか、何でこんなことをしたのか」
と更に畳み掛けてくる。
「水上は真面目だし責任感もあるし、A組のクラス委員だろ?俺の授業だって熱心に受けてくれてるし……。
俺自身も、まさか水上みたいな生徒がって――すごくビックリしてるんだよ」
「………」
そう言いながら残念そうというか、寂しそうな表情を浮かべたセンセが大きくため息をついた。
「どうして、あのホテルから出てきたんだ? もし何か事情があるなら、俺に話してくれないか? いや、事情があるんだろ?」
普段イイコを演じている私のイメージは、援交という行為に似つかわしくなく、自主的に係わったとは考えづらいのだろう。
寧ろそうであって欲しいと願うような口ぶりで、センセが再度訊ねる。
センセはどうやら、私が致し方なく瀬野と寝たという解釈のようだ。
そう理解した瞬間――私はこの状況を乗り切り、今後も二の舞を演じずに済む方法を思いついたと同時、実行に移していた。
「川崎センセ……私……」
私は出来るだけ悲壮感をアピールできるような声音を作って、両手で顔を覆った。
「水上」
突然私の様子が変わったことで、慌てるセンセに私が続けた。
「私……あの、本当は……あんなことするつもりなんて……でも、他に方法がなくて……」
「水上、落ち着いて。ゆっくり、ゆっくりでいいから、最初から話してくれるな?」
「……はい」
私は目頭を押さえる振りをしながら徐に口を開いた。
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私がセンセにした作り話はこんな感じだ。
父親の会社――当然、アダルトグッズを売ってるなんて言わなかったけど――の経営が危なく、
進学のための費用も用立てられない可能性があるけど、成陵に入った以上大学は諦められない。
だから、インターネットの掲示板で援交相手を募り、今日初めて売春をしようとしたものの、やはり最後のところで思い切れず、
相手の男性に謝り倒して帰ってもらった――みたいな。
それらを、「私も辛かったんです……」みたいな感情を込めて話してみると、案外、川崎センセは何の疑いもなく信じてくれた。
まあ普段の生活態度の良さが成せるワザってことだよね。改めて、学校では大人しくしてて良かったと思った。
「そうか……じゃあ、その……そういう行為までには至らなかったってことだな?」
センセが言葉のオブラートに包んで訊いてくるのを、私は頷いて答えた。
「……とにかく、水上の身体が傷つかなかったのはよかった」
神妙な面持ちの中でも、少し安心したという様子が窺えた。
「でもな、もう二度とこういうことはしないで欲しい。俺も教師として、生徒がそんなことをするのを黙って見てられないよ」
「………」
「とにかく、担任の小宮先生にも報告して――」
「それはダメですっ……!」
私はかぶりを振って小さく叫んだ。
「それだけは……それだけは、止めてください」
冗談じゃない。小宮センセに知られようものなら、最悪、家庭訪問なんてことにもなりえて、父親の耳に届く可能性がある。
内申にも響くかもしれないし――私は心中で怯えていた。
「でもな水上、知ってしまった以上、俺が黙ってるワケにもいかなくて……。そうだ、それに、進学に関しても、
担任である小宮先生なら奨学金とかの相談も乗って貰い易いだろう」
まずい。この空気は、私が何を言っても小宮センセに話がいってしまいそうだ。
「本当に、お願いします。止めてください! もしどうしても話すって言うのであれば……私、恥ずかしくて、もう生きていけない」
もう必死だった。手段は選べないとばかりに、テーブルに突っ伏す。
小宮センセにバレるのはまだいい。でも父親にバレるのは危険すぎる。
『Camellia』を感付かれないかもそうだし、バレることそれ自体も耐えられない。
自分から身体を売ろうとしたって父親に誤解されるのだけは、私のプライドが許さないから。
「………」
今度は川崎センセが黙ってしまった。
そりゃそうだろう。センセの立場を考えたらフクザツだ。上司に報告しなきゃいけない事柄があるのに、
その当事者から脅しともとれるような拒否――自殺を仄めかす様なフレーズを聞いたら、返答に困るだろう。
でも此処で引く訳にはいかない。引いたら、運が悪ければ『Camellia』の存在だってバレかねない。
祈るような気持ちで、私は川崎センセの返事を待った。
「……わかった」
私にはかなり長い時間に感じたけれど、実際はそれほどでもないのかもしれない。
センセは渋々、といった口調でそう言った。
「わかったよ、水上。そこまで言うのであれば――未遂っていうこともあるし、小宮先生には伝えないで置く」
「……本当ですか」
私は顔を上げて、アイスコーヒーに刺さったストローに口をつけていたセンセの目を見つめた。
「ああ、でも約束してくれるよな? 二度と、援助交際はしないって」
「……約束します。二度とこういうことはしません。高校にも迷惑かけるかもしれなかったのに……軽率でした」
私は確りと頷いて、高校名に傷をつけるかもしれなかった可能性を恥じてみせた。
無論、そうした方が物分りのいい生徒、を演じられるかと思ったからなのだけど……。
「あのな、水上。俺が言ってるのはそういうことじゃないんだ」
「え?」
急に、険しい表情になるセンセに、つい私は聞き返してしまう。
今の発言で、センセの機嫌を損ねたのは確実だ。ホテルの前で見つかった時と同じ、怒ったような厳しい顔。
「そういうことをするっていうのは身体だけじゃなく、心まで傷つくんだ。もし今、心当たりがないとしても、
何年か先かもしれない、何十年か先かもしれない、きっと後悔する時が来る――そんなことしなければよかったって。
そうしたら、昔の自分を責めてまた傷つくかもしれない。過去の自分を後悔するような大人になって欲しくないんだ」
「センセ……」
「だから、高校がどうとかそういうことじゃないんだ。水上自身の問題なんだよ。賢い水上なら、わかるだろう?」
私がたった今でっち上げた嘘なのに、たかが数居るうちの一生徒のことなのに。
センセはとても熱心に叱ってくれた――まるで、自分の身内にするみたいに。
高校の名前なんて関係ない。これは私の問題。
センセを利用しようとしているだけなのに、そんな風な答えが返ってくるなんて思っていなくて、私は思わず言葉を無くした。
何だか―――正直、すごく申し訳ない気持ちになって……。
「……ご、ごめんなさい、私、そういう風に考えたことなくて」
「いや、わかってくれたらそれでいい。……悪い、ちょっと厳しく言いすぎた」
私が驚いた顔をしていたからか、センセは謝りながら「でも」と続けた。
「……もっと自分を大事にしてくれよ。そのために俺が協力できるなら、幾らでもするから」
そう言いながら、横に立ててあるメニューの影に隠れるように置いてある、アンケート用紙と鉛筆を手にとって、
用紙の裏に何かを書き始めた。
「……?」
「これ、俺の連絡先」
そう言って、その紙を目の前に差し出す。
紙には、センセの携帯と思われる十一桁の番号と、そのメールアドレスとが書いてあった。
「小宮先生の代わりに――困ったこととか、奨学金の相談も乗るから。必要なかったら使わなくても勿論いいんだけど、変な業者に売らないこと」
「いいな?」と冗談めかしながら笑うセンセ。
「あ、ありがとうございます……」
まさか、たった一人の生徒のために、ここまでしてくれるなんて思わず、恐縮してしまう。
同時に、やっぱり川崎センセは他の先生と違うんだと思った。私が最初にそう感じ取った通りだ。
相談する内容なんて一つもないのだけど、ただ純粋に―――嬉しかった。
「って……ヤバいな、今何時だ?」
ふと、センセが腕にはめていた時計を見遣った。
デザイン性の高いスポーツウォッチ。アウトドアなセンセの趣味だろう。
その時計が、デジタル表記ではっきりと23:20と告げていた。
「水上、終電何時だ? 最寄駅、このあたりじゃないだろ?」
「あ……もしかしたら、もう電車、ないかも……」
まぁでも地下鉄に乗って十分少々だから、タクシーで帰ればそんなに時間はかからない。
無論、それぐらいのお金は持ち合わせている――タクシー代くらいで、今日の色んなハプニングが解決したと思えば安いものだ。
「ごめんな、水上。ついつい時間のこと考えるの忘れてた……俺、ちゃんと送っていくから」
センセは拝むようなポーズをしながらそう言った。
……もう少しだけセンセと一緒にいられる。そう思ったら、私は迷わず「お願いします」と答えていた。
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