Scene.3-2
「うっかり終電逃すとは……ホント、ごめんな」
「いえ、別に。大丈夫ですから」
助手席に私が。運転席には勿論川崎センセがそれぞれ乗り込んで、少しの間のあとエンジンがかかる。
センセの車は、イメージ通りのスポーツカー。色はブラック系で、かなりシャープなデザインだった。
「しかし、生徒を乗せるのは初めてだから妙にプレッシャーかかるな」
慎重に、なんて言いながら、車を発進させる。
私はそんなセンセを見つめた。
日に焼けた肌に茶髪の髪。濃いか薄いかでいったら濃い顔立ち。彫りが深いのが、横顔だとよく判る。
今みたいに暗い時間帯だと、ライトの所為で陰影が目立って、特に。
「ご両親も心配されてるだろう。俺からも謝るから」
ハンドルを握りながら、センセが言った。
ご両親、か……。
「あの、大丈夫です。父親は、私のこと信頼してくれてますし」
「うん」
「それに、母親とは一緒に暮らしてないので――つまり、片親なんですよ、私」
「……そうか、悪いな」
「あ、私、全然気にしてないんで。今時、そんなに珍しい話でもないですしね」
聞いてはいけないことを聞いた――そんな感じの川崎センセをフォローするように、私は努めて笑って言った。
私自身、別に触れられたって痛くも痒くもない部分だったのも事実だし。
「水上は、兄弟はいないの?」
「いないです。一人っ子ですね。父親と二人ですけど、父が結構賑やかな人なので、寂しいと思ったことはないです」
こういう時、誰に求められてるワケでもないのに、ついつい余所行きの自分を装ってしまう。
寂しいとかそういう感情以前の問題だ。両親は、私が生まれることを望んでいたのか?
寧ろ居ないほうが互いに自由だったんじゃないのか?
……それすら疑ってしまうような家庭環境なんだから。
だからって、それを卑屈に思ったりなんかしない。悪いのは考えなしに産んだ両親だ。
私は私の方法で、自分自身を幸せにする。そのためなら、どんな苦労だって惜しまない。
例え援助交際斡旋っていう、決して誉められない方法であっても、だ。
「そっか。だったら尚更、そのお父さんを悲しませないようにしないとな」
「………はい」
父親は、悲しむのかな。私がこんな副業をしてるなんて知ったら。
アダルトグッズの会社をやりたいなんて言い出すくらいだから、さほど気に留めないんじゃないかな、とも思う。
いや、顧客リストを拝借してるなんて知られたら悲しまれるかもしれないけど。
ヘタしたら『AQUA』だって巻き込まれ兼ねないし……どちらにせよ、父親がどう思おうと、あまり興味が無い。
「そうだ、水上。正直に答えて欲しいんだけど」
信号待ちの時、センセが不意に私の方を見遣りながら切り出す。
「はい?」
「水上、インターネットで援助交際の相手を見つけたって言ってたな」
「……はい」
私がでっち上げた作り話では、そういうことになっている。私はこくりと頷いた。
「成陵で他に、似たようなことをしている生徒を知らないか?」
「似たようなこと……援交してる女子生徒ってことですか?」
「そうだ。他の先生方の話だと、それなりの人数が係わってるんじゃないかっていう話なんだが」
「それなりの、人数……ですか」
「もしかしたら組織的なものがあるかもしれない、と。そういう見方をしている先生方が多くてな」
なるほど。成陵のセンセ方は、広がる援交に多人数、つまりそういう組織が係わっていると思っているらしい。
私は内心、冷や汗が出る思いだった。その考え方は間違ってない。
その黒幕が私だという足がつかないように振舞わなければ……。
「いえ、私は何も……。もしかしたら、成陵にそういう組織があるかもしれないってことですね。気に留めておきます」
「うん、何か聞いたら俺に教えてくれ」
「はい」
でも、一体何で……? 誰か『Camellia』の存在に気がついたとでも言うのだろうか?
ホテルのことといい、やっぱり誰かの口から洩れたのか――これは、鳴沢達に報告しなくちゃ。
「センセは、どうして今日ホテルの前に居たんですか?」
「俺か? 今日は、パトロールの日だったからな」
「パトロール?」
私は、敢えて知らない振りをして訊いた。
「援助交際の噂が出たときから、職員全員に声が掛かってるんだ。当番制で、あの『Rose』ってホテルと、もう一つ……
反対側にある、『プレシャス』ってホテル。その二箇所を見回るようになってる」
「『Rose』と『プレシャス』……」
そういえば、あの付近にはもう1つラブホがあった。成陵を中心に、『Rose』とは反対側にある古めのラブホ。
『プレシャス』――あそこもパトロールの対象になってたとは。『Camellia』では利用したことがない所だ。
それを聞いて私は、今日大きなリスクを背負った替わりに、強い味方を手に入れたことを知った。
川崎センセは私を疑うことなく、援交対策の情報を私に流してくれる。
だから、川崎センセが色々と私に話してくれるうちは、『Camellia』の正体が学校側に知れてないっていうことで……。
これは今後の運営に生かせそうだ、と、小さく笑みを浮かべた。
「センセ、私、何か気がついたことがあったら、センセにお話しますね」
「ありがとう、水上」
センセは少しも疑うことなく、私の言葉に頷いたようだった。
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「ありがとうございます、送ってもらってしまって」
「いや。俺の方こそ、長々と引き止めてごめんな――とりあえず、お父さんにご挨拶して帰るよ」
「……ホント、ウチの父親は気にしないと思うんですけど……」
センセの車から降りると、もう自宅のマンションの目の前だった。
私は「別に大丈夫」と言い張ったのだけど、センセは、
「日付を跨いでしまったんだから、教師として謝るのは当たり前だ」
って責任を感じているものだから、気が進まないけれど、少しだけ父親に会って貰うことにした。
少なからず好意を持ってるセンセに、あの無駄にテンションの高い父親と会わせるのは凄く抵抗がある。変に絡んだりしないか心配だ。
「ちなみにお父さんってどんな人なんだ?」
「……何ていうか、あっけらかんとして変わった人ですよ」
センセの問いに、私は苦笑を浮かべながら答えた。誰が見てもそう思うだろう。
エントランスを抜け、エレベータに乗り六階へ降りると、通路を真っ直ぐ進んでいく。
突き当たりに「水上」と表札のあるその部屋の扉を開けようとする――流石にこの時間じゃロックされてるか。
目印代わりに猫のストラップのついた鍵を取り出し、それを捻って扉を開けた。
玄関は暗い。父親は、もう寝てるのだろうか。
「もしかしてお父さん、留守なのか?」
「いえ、この時間は必ず家に居て、起きてるはずなんですけど……」
珍しいこともあるものだ。父親が家にいないなんて――と思ったその時、部屋の中からくぐもった声が聞こえてくる。
薄く扉が開いている部屋から光が、声が、呼吸が――漏れている。
「ゃあぁんッ……それ、ダメッ――」
「愛美、可愛いよ、ほらっ……」
「ふ、ぁ、あんッ、あんッ、セイちゃぁん、激しすぎッ……」
私は頭の中が真っ白になった。睦み合う男女の声音が耳に貼りつく。
それらの声は聞き覚えがあった。どちらも、私の最も身近に居る人物の声だ。
「水上……?」
突然、口を閉ざした私に不思議そうな表情を浮かべるも、直にセンセにも状況が理解できたらしい。
センセの目が驚いたように大きく見開くのがわかった。
その間も、二人の嬌声は止まらない。
見てはいけない――そう何処からか忠告が聞こえてきたけれど、私は導かれるように、僅かに開いた父親の部屋を覗いた。
明かりのついた室内、ベッドの上に彼らは居た。
「もっとヨくして欲しいんだろ? ん? お願いするんだ、愛美」
「ぁ、ああッ……セイちゃぁん、もっと! もっと、してぇっ――頭、おかしくなっちゃうのぉ……」
「幾らでもしてあげるよ――いっぱい、注いであげるからな……」
「来てッ……愛美の中に、いっぱい出してッ……!」
眩暈がした。
ぐらりと視界が揺れる。ともすれば倒れてしまいそうだった。
この薄い扉を隔てた向こう側で、父親と、吉川さんが――……。
『ん、あぁ、ああ――ん、はぁっ……』
『……いい具合……だね、君の中は』
ついさっき『Rose』で見た、ユリカと瀬野の姿が頭を過ぎった。
でも今身体を重ねているのは彼らじゃない。
父親である水上誠一と、その恋人である吉川愛美――。
父親は、吉川さんを後ろから抱きすくめるようにしながら、激しい抽送を繰り返し、今にも果ててしまいそうで……。
「うっ、出るっ――」
「あはぁッ……ぁああんッ……!」
一際大きな声を上げる吉川さん。これはきっと、クライマックスを迎えたところなのだろう。
「おい、水上!」
私は堪らず、最奥にある自分の部屋に駆け込んだ。
乱暴に扉を開け、私はベッドを机代わりに突っ伏した。
知っていた。父親と吉川さんの間に、男女の関係があることを、私は知っていた。
でも、頭で理解できていても、現実に目にするのとでは衝撃も違うし、受け入れられない。
あんな野獣のような父親は初めて見た。本能のままに身体を動かし、欲望に身を任せて。
吉川さんの方も、与えられる快楽に悦びを隠そうともせず、艶かしい声を上げていた。
父親は、二人のときは「愛美」って呼ぶんだ。
吉川さんは二人のとき、「セイちゃん」って……。
知らない父親の顔。知らない吉川さんの顔。
いつも『AQUA』で目にする二人じゃない。まるで違う人間、違う生物になったみたいな―――。
気持ち悪い。
汚らわしい。
考えられない。
色んな感情がごちゃ交ぜになり、とにかく不快だという感情だけが募っていく。
「……水上、入るぞ」
慌てたみたいな口調の川崎センセが私の部屋へと入ってくる。
反射的に扉の方へと振り向くと、困ったような顔をしていたセンセが、声を詰まらせる。
「お前……泣いて……」
頭の中がぐちゃぐちゃで、指摘されるまで気がつかなかった。
私はぽろぽろと涙を零して泣いていた。でも、何で泣いているのかが自分でもわからなかった。
父親と吉川さんのことなんて、今更なのに。分っていたことなのに。
「違うんです……これは……泣いてるんじゃなくて……」
そう、泣く理由なんてない。父親にも吉川さんにも興味なんてないのに。
きっとただ、吃驚しただけ。二人の行為を目にして、処女で経験のない私は受け入れられなかっただけなんだ。
なのにどうしてだろう――何だか怖いのだ。
『Rose』でユリカと瀬野が繋がっている映像を見たときに感じた、あの恐怖にも似た嫌悪感が蘇るようで……。
怖い。
怖い……怖い―――。
「水上、落ち着いて」
その時、センセの大きな手が、私の髪を撫でた。
一瞬、びくんと肩を揺らしてしまったけれど――直ぐに受け入れることが出来た。
小さいときにしてもらったみたいな、安心できる所作で、ゆっくり、ゆっくり。
「セ……センセ……私……」
「何も言わなくていい。落ち着くまで、こうしてるから」
「………センセ、ごめんなさい」
男の人に、必要以上に触れられるのは苦手なはずだった。
でも、センセは違う。センセなら、触れられても嫌じゃない。
それどころか――彼の近くに寄り添えることで、気持ちが落ち着くような感じがして。
私は、思わず隣に座った彼の首元に、きつくしがみ付いていた。
自分でも、大胆な行動だと思ったけれど、気が動転している今、とにかく心の動揺を落ち着けたかった。
センセのシャツに顔を埋めると、いつもの『海』の香りがする。いつものセンセのフレグランスだ。
その『海』の香りが、センセの匂いと混じって――何だか、ふわふわの毛布に包まれている様な心地よい感覚を運んでくれる。
髪から滑り降りたセンセの手は、平素を取り戻すまで私の背中をポンポンと優しく叩いてくれていた。
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