Scene.6-2
「水上、お前が――うちのガッコの援助交際をサポートしてやってるってこと。教えてあげなよ」
三宅の一言で、目の前が真っ暗になった。
――もうダメだ。川崎センセに知られてしまった。
この人にだけは知られたくないと願っていた川崎センセに。全て、バレてしまった……。
「サポート……? 水上が……?」
信じられないとばかりに、川崎センセの声が震える。
「本当なのか……?」
弱々しいその声で訊ねるセンセに、私は何も答えられなかった。
地道に積み重ねてきたセンセとの関係が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
もうセンセと合わせる顔がない――私は情けなくも、ベッドの上で膝をついたまま背中を丸め、蹲るしかなかった。
「水上が答えられないっていうンなら、オレが代わりに喋ってやってもいーっすよ。
優等生の仮面を被ったこの女が、どンだけ狡猾で恐ろしいヤツかっていうの、川崎センセに教えてあげますから」
私の落胆に追い討ちをかけるみたいに、三宅が得意になって言う。
止めて。お願い三宅、止めて!!
「――もう止めて下さいっ!!」
そのとき。私の心の声を聞きつけたかのように、狭い室内にハイトーンの叫声が響いた。
視界をシャットダウンし、絶望に支配されていた私は、その声の主が誰なのか、一瞬見当がつかなかった。
「……神藤」
うろたえる鳴沢がそう呼んだことで、漸く神藤によって発された台詞なのだと判る。
私の聞いたことのない彼の声だった。いつもの彼は、こんな風に声を荒らげたりしない。絶対に。
だから、私は反射的に顔を上げてしまった。
本当に今の、ピシャリと叩きつけるような声が、神藤のものなのかどうか、確かめるために。
「……三宅くん、もう止めましょう。こんなことしても、何にもならない」
やっぱり神藤だ。さっきまで倒れそうな顔をしていた彼が、腹を括ったみたいにキッとした表情を浮かべている。
三宅も、突然の神藤の意思表示に戸惑っているみたいだったけど、神藤は構わずに続けた。
「ぼっ……僕らだって、水上さんのお陰で利益を得られていたわけじゃないですか。
なのに、こんな風に水上さんばかりを責めるのは……やっぱり、おかしいと思うんです」
「だから、さっきから言ってンだろ! 水上は自分の保身のために、オレらを切り捨てようとしてンだって。そんなヤツを責めて何が悪いンだよ!」
「それだって僕は何度も言ったはずです! 水上さんはきっとそういう嘘はつかない。本当に卑怯な人なら、普段から僕らと利益をきちんと四等分なんてしてくれてませんよ!」
神藤は、時折口元を痙攣させながら、三宅に強い口調で反論している。
おそらく、私の次に恐れているだろう三宅を相手に――ひとりで。
「神藤、お前は何でそんなに水上の肩持つんだよ! お前だってオレたちと一緒で、アイツに脅されてたンだろ!? ――あっ!」
大変なことを思い出した――と言わんばかりに、三宅が目を見開く。
「川崎センセをこの部屋に招待したのはお前だったンだよな、神藤。どういうことだ? まさか……水上に上手いこと唆されて、オレらをハメようとしてたワケじゃないよなァ?」
三宅の表情が険しくなる。ともすれば、神藤に掴みかかるんじゃないかというくらい。
「そんなんじゃありません!!」
さきほど制止をかけたときよりも、もっと鋭い声音で神藤が喚く。
今度は、三宅ですらもその声量に圧倒されたようだ。
「……ただ僕は、どっちも裏切りたくなかった。それだけなんです」
肩で息をしながら、神藤が続けた。
「僕……僕は、この性格だからっ……いつもクラスではひとりぼっちでした。
他人との距離の詰め方がわからなくて、本当は友達が欲しいのに、素直にそれを表現できなくて……。
このまま卒業まで、誰とも打ち解けられずに終わってしまうんじゃないかって、凄く不安でした。
でも、そんなときに救いの手を差し伸べてくれたのが、水上さんだったんです」
神藤が私を一瞥する。
「確かに、水上さんのやり方は強引だったかもしれないし、さ、最初は……怖いって思ってました。
でも、水上さんのお陰で三宅くんや鳴沢くんと係わる機会ができて、僕は嬉しかった」
「嬉し、かった?」
私は神藤に問うでもなく、口の中で呟いた。
……嬉しかった?
いや、それだけじゃない。私が、神藤に、『救いの手を差し伸べた』?
ただ自分のビジネスを手伝わせたいがために、神藤や三宅や鳴沢を利用していただけの――この、私が?
「三宅くんや鳴沢くんがどう思っているかはわかりません。
でも、少なくとも僕にとって――水上さんを中心とした、部活みたいなこの時間が、とても待ち遠しい瞬間になっていました」
神藤の声が涙声になっているのに気付いて、私は彼の顔を見た。
くりっとした瞳いっぱいに涙を溜めて、懸命に言葉を紡ぐ神藤を見ていると――胸の奥がじわりと熱くなる。
「僕にとっては、水上さんも、三宅くんも、鳴沢くんも……大切な仲間です。
だから三宅くんに今回のことを持ちかけられたとき、どうしたらいいのか、必死で考えました。
水上さんに付くべきか、二人に付くべきか……僕には選べませんでした。どちらかの敵になんてなりたくなかった。
だって、一つの目的を遂げるために協力し合ってきた仲間ですよ。選べるわけないです。
だから僕は、昼間のうちに水上さんを連れ出して、今日のことを話そうと思ったんです――水上さんの身に危険が迫ってることを。
でも、そうすると今度は、三宅くんや鳴沢くんを裏切ることになってしまう」
「――だから、川崎センセを呼んだのか?」
問い掛けたのは鳴沢だ。目元をシャツの袖で拭いながら、神藤が頷く。
「……ねえ神藤、どうやって川崎センセを呼んだの? アンタ、センセと親しかったワケじゃないんでしょ?」
私が訊くと、神藤はちょっと躊躇うような間のあと、口を開いた。
「み、水上さんには悪いと思ったんですけど……水上さんがトイレに立った隙に、水上さんの携帯から川崎先生に連絡しました」
「私の携帯――」
「はい。『水上さんが危ないから、このホテルのこの部屋に来てください』って、僕の連絡先も添えて。……そうですよね、川崎先生?」
「……ああ」
神藤が川崎センセに確認を取ると、センセが頷いて認める。
「でも――でも、これだけはわかってください。こんな風になってしまったけど……
僕は、決して三宅くんや鳴沢くんを欺こうとしたわけじゃなかった。『Camellia』のこの形を、変えたくなかったんです。
賑やかな三宅くんに、毒舌な水上さん。さり気なくフォローをいれてくれる鳴沢くん。そして、やっぱりオドオドしている僕。
『Camellia』が『Camellia』でなくなってしまうのが一番嫌だった。僕の居場所が、仲間が、バラバラになってしまうのは耐えられなかった――」
そこまで一息で吐き出すと、神藤の真っ赤な瞳にまた涙が溢れ、白い頬の上をぽろぽろと零れる。
居場所? 仲間?
コイツは――神藤は、私たちを、『Camellia』をそんな風に思っていたっていうの?
援交斡旋サークルなんていうダーティな組織を、『居場所』?
その中で『シゴト』をこなす私たちを、『仲間』?
次から次へと零れ落ちる神藤の涙から目が離せなくなっていた。
おそらく、三宅と鳴沢、それに川崎センセまでもが、そうなのだろう。
暫らく、室内には神藤の啜り泣く声だけが響いていた。
「……あーあ。なンか、シラけちまったな」
重たい雰囲気を打破するように呟いたのは、三宅だった。三宅の言葉に神藤の肩がビクっと跳ねる。
「鳴沢、帰るぞ。これ以上ココにいたって仕方ねェからな」
「えっ……あ――」
そうと決まればサッサと自分のスクールバッグを取りに行く三宅を、困惑顔の鳴沢が、川崎センセと交互に見遣る。
「待て、三宅。まだ話は済んでないっ」
早足で川崎センセの横をすり抜けようとした三宅の肩を、川崎センセが掴んで引き止める。
三宅は、その顔面に軽薄な笑顔を貼り直しながら、そっとセンセの手を払いながら言った。
「スイマセンねー、このあと塾のチューターに呼ばれてるンで、失礼しまーす。ホラ、鳴沢も」
「あっ……失礼します」
「おい、お前たち!」
なおも呼びとめようと振り返るセンセを余所に、三宅と鳴沢は短い廊下を抜けて早足に外扉に向かう。
踵を潰したローファーを履きながら、三宅がこちらを振り返った。
「――川崎センセ、オレらに構ってもいーコトないっすよ。センセが此処に居るのって、水上と繋がってたからでしょ?
でも、男性教師が担任でもない女生徒の連絡先知ってるのって、不自然じゃないですかー」
「……それは」
三宅に揺さぶられて、川崎センセの表情が曇る。
「何か事情があるとか、ですかね。なら、どンな事情なンでしょねー? 気になるなァ」
「…………」
私と川崎センセの間に、教師と生徒を超えた関係は一切ないのだけれど――。
確かに、私とセンセが頻繁に連絡を取っている状況は、誰が見たっておかしいと思うだろう。
『そこには目を瞑るから、今回は見逃せ』
三宅はそう牽制するように、とぼけたように首を傾げてみせてから、鳴沢に「出るぞ」と声を掛けて、部屋から去っていった。
「…………」
鳴沢は、扉から出る間際に私のほうへと何か言いたげに視線をくれたけれど、結局何も発することなく三宅の後を追った。
部屋には、私と川崎センセ、そして神藤が残された。
次に動いたのは神藤だった。濡れた頬や顎をシャツの袖口で綺麗に拭ってから、ネットワークカメラやパソコンを片付け始める。
「神藤……」
私が声を掛けると、彼は片付けの手を休めることなく、
「心配しないで下さい。これ、全部消しておきますから」
と言った。
これ――とは、今の今まで回っていたネットワークカメラから、彼のパソコンに保存された映像のことだろう。
パソコンやネットワークカメラを専用のバッグにしまって、自分のスクールバッグを引き寄せると、神藤は私に身体を向けた。
「……三宅くんのこと、誤解しないであげてください」
「え?」
意外な言葉に、唇から疑問符が零れる。
「三宅くん、僕と一緒で、最近まで水上さんに悪い印象なんて持っていなかったはずなんです。もちろん、鳴沢くんも。
でも、ユリカさんの一件や、その――川崎先生のメールの件とかで、きっと不安になってしまったんです。
あれだけ勧誘に一生懸命だった三宅くんですから、急に手のひらを返されたみたいに思ってしまったんでしょうね」
神藤が斉木さんのことを敢えて『ユリカ』と源氏名で呼んだのは、川崎センセを配慮してのことだろう。
私は、自分の交際網を駆使して熱心に女の子を勧誘する三宅の姿を思い浮かべた。
「鳴沢くんにしたって、そうです。彼は人一倍忙しいのに、『Camellia』のために自分の時間を割いてくれた。それはやっぱり、水上さんのためだったんですよ」
『僕はずっと……水上のことが好きだったんだ』
私の上に覆いかぶさった鳴沢が、そう言っていたことを思い出す。
その想いが強かったからこそ、三宅に不信感を煽られてしまったというのだろうか。
「水上さんが辛かったのはわかります。でも、三宅くんや鳴沢くんの中にも、きっと葛藤があったんだと思うんです。
僕が偉そうに言えることじゃないですけど、それを誤解しないであげてください」
神藤はそう言いながら、私と川崎センセに頭を下げた。
そして荷物を拾い上げ、踵を返して外扉に向かう。
「待って、神藤」
私はそんな神藤を咄嗟に呼びとめた。ちょっと不安げな所作で彼が振り向く。
「……その。あ……ありがとう」
今、こうして私が無事でいられるのは神藤のお陰だ。
消え入りそうな声で礼を言うと、神藤は嬉しそうな笑顔を見せてから、部屋を出て行った。
「――水上」
二人きりになった部屋。川崎センセが私の名前を呼んだ。そして、ベッドにへたり込む私のほうへゆっくりと近づいてくる。
手を伸ばせば触れられる距離。きっと彼には、訊きたいことがたくさんあるのだろう。
私はどんな顔をして彼を見つめたらいいのかわからなくて、ただ俯き、ベッドに掛かったシーツを睨んでいた。
一連のやり取りで、私に対する信用はガタ落ちしてしまったことだろう。
でも仕方がない。私たちが手を出していたのはそういうビジネスなのだ。
しかも、鳴沢の言う通り――それがどれだけ恐ろしいことなのかを知らないままに、傍若無人に振る舞った。
どんな問いを向けられても、どんな罵声を浴びせられても、応えなきゃいけない。これは、そんな愚かな私に下った罰なのだ。
私は覚悟を決めて、顔を上げた。
「――――」
ところが。そんな私に待っていたのは、厳しい言葉ではなく……彼の温かなぬくもりだった。
気がつけば、私はセンセに抱きすくめられていた。背の高いセンセが床に膝をついて、私の背中に腕を回してくれる。
「無事だったんだよな?」
センセの声が耳元で優しく問い掛ける。
「神藤にメールを貰ったときに、心臓が止まりそうになった。部屋に入ったら、あんな状況で……。怪我はないか?」
「……っあ、センセ」
まさかこんな風に、気遣う言葉を掛けてもらえるなんて思ってなかった。
張り詰めていた神経の糸がぷつりと切れて、双眸から再び涙が零れる。恐怖ではなく、安堵の涙だ。
「だ、大丈、夫、ですっ……」
「……それならよかった」
彼は心底ホッとしたように言うと、以前、私の家でそうしてくれたように、その大きな手の片方で、私の髪を撫でてくれる。
ゆっくり、頭のてっぺんから毛先までを、手ぐしで梳くように。
暫らく、私はその優しいリズムに身も心も委ねていた。彼の胸元から香る香水が、彼との距離の近さを意識させてくれて、心地よい。
こんなときでさえ、川崎センセは優しかった。
私が彼の立場だったら、確実に質問攻めをしているはずだ。
生徒から呼び出され、更にはあんな現場を目撃して――落ち着いてなんていられない。
改めて私は、この川崎千紘という先生を――ううん、一人の男性を、好きだと思った。
「……センセ」
「どうした?」
そんな彼をこれ以上失望させたくない。彼の胸に顔を埋めながら、私は言った。
「私、センセに嘘を吐いていました」
「嘘?」
私の頭を撫でながら、センセが問う。
「……以前ホテルで鉢合わせたとき、学費を払うために援交をしようとしたって言いましたけど、本当は違う。
私は、さっき三宅が言っていたみたいに――成陵の女の子たちを使って、援交の斡旋をしていたんです」
耳元で、川崎センセの息を呑む音が聞こえた。
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