Scene.1-5
放課後、私達四人は『Splash』という名のホテルの一室に居た。『隣で待機』のためだ。
援交が不安だという相原さんも、関係者が傍についてるなら――と思い直してくれたようでホッとした。
このホテルは成陵の最寄り駅から地下鉄で十分程度の歓楽街にある。私の家がある場所とは反対方向だ。
「おー。まだまだキレイなホテルじゃん」
部屋に上がり込むなり、メルヘンチックなお城――そう、まるで絵本に出てくるようなそれをイメージした内装に、三宅が楽しげに言う。
私は脱いだ靴を揃えると、スクールバッグを放り投げて天蓋付きのベッドに腰を掛けた。
ピンクのシーツにピンクのカバー。豪奢に見せるための装飾なのかチュールと大ぶりのビーズが縫い付けてある。
これがお姫様気分って感じなのかと苦笑した。
「探すの、結構骨が折れたよ。条件がピッタリあう場所って少ないもんだね」
この間の放課後、使用するラブホテルの場所を高校から離れた所へ変えるという話をした。
けれど、離れたホテルなら何処でもいいというワケじゃない。変更に至るには様々な条件があるのだ。
第一に、まずホテルの予約ができること……これは、基本中の基本。
入ろうと思ったら満室でしたなんて事態になってはいけない。
それに、今日みたいに『隣で待機』しなければいけない時は、すぐ隣の部屋もキープしなきゃいけないから。
第二に、成陵からのアクセスがいいこと。これは、シゴトをする女の子の為。
受験生である彼女達の時間を少しでも有効に使ってもらうために、成陵周辺の駅から最長でも十五分が限度だ。
第三に、一部屋に複数人入れるれるシステムであること。意外にこの条件を揃えるのが難しい。
大体の部屋が原則、利用人数の上限が二人になっていて、黙って複数人で入ると追加料金を取られたりする。
制服姿の私達とホテルの従業員が接触したらトラブルになりかねないのだ。
最後に……コレが一番重要なんだけど、フロントが無人であること。
今は無人の所が多いみたいだけど、有人のところも結構あるから気にしないといけない。
『Camellia』は『成陵の女子生徒』を派遣しているという性質上、女の子には制服でホテルに向かってもらっていた。
現場を見つけられたら確実にアウトなのだけど、その方が客受けが良かったりするから分からない。
どうしても抵抗がある子に関しては、着替えて現地に向かってもらい、部屋についたら再び制服になってもらう措置をとっている。
ちょっと話がそれたけど、まぁつまりは、無人の方が捕まる確率が低いっていうこと。
でも……早速職員の間で援交が話題に上がってしまっているところを見ると、やはり私の判断は間違っていたみたいだ。
客の顔色を窺わず、自分達の安全を優先するべきだった。判断ミスが悔やまれる。
「水上? どうしたんだ。難しい顔して」
向かい側にある、ゴブラン調花柄のゆったりとしたソファに腰掛けた鳴沢が、私の様子を気にして声をかける。
ついつい顔に出してしまったか。
「いや、やっぱり制服での派遣が原因で、学校バレしたのかなって思って」
「だーからオレは私服の方がいいって言ったンだぜ? なのに、水上が制服の方がウケるからって推すからさー」
三宅は鳴沢の隣に腰掛けながら、私を挟んでベッドの向こう側にある大型の液晶テレビの電源を入れた。
コイツはいつも『隣で待機』の時は、無駄にアダルトチャンネルを鑑賞しようとする――家で見ろ、家で。
「うるさいな、わかってるよ。だから今回からは私服でって規則に変えたじゃん」
ノンキな口調の三宅に言われるとムカついて、ついつい口調が荒くなる。
「まぁ、そのお陰もあって成陵の近くは止めようってことになったんだから、結果オーライかもしれない」
そんな私を宥めるように、鳴沢が意味深に言った。
「どういうこと?」
「いや、今日配布するプリントを取りに小宮センセの所に言った時にさ、良いことを聞いたんだ」
「イイコトって? ……もったいぶンなよ」
三宅が続きを促すようにそう言う。
「僕たちが使ってたあのホテル、今は学校のセンセ方が定期的にパトロールしてるって話だ」
「パトロール?」
私は思わず聞き返した。
「そう、つまり、成陵の生徒が出入りしてないかチェックしてるってこと。学校側も警戒してるんじゃないかな」
「何ソレ、ヤバいじゃん。てことは、オレら運悪かったら捕まってたかもってワケ?」
「っていうより、むしろ今までが運良かったって考えるべきなのかもな」
「え、それマジ? アブねー……」
三宅は顔を顰めながら、はっと気が付いたように
「つーか、今だってオレら制服じゃん」
「ここは学校から離れてるし、立地だって人気がないから大丈夫だよ」
自分の過ちをいつまでも責められている気分になって、イライラしながら言った。
「仮に私たちがホテル側に捕まったとしても、私たちは同級生なんだから援助交際にはならない。
それに幸運なことに、私達は全員十八歳以上でしょ? 十八過ぎてれば、ホテルの利用に関してはグダグダ言ってこないはず。
そもそもそういう堅苦しいことは、ホテル側の人間はスルーする場合が殆どだよ。利用すれば向こうの利益になるんだから」
インターネットや、吉川さんとの会話で聞きかじった知識をつらつらと並べると、三宅は納得したように頷いた。
「全員って……水上、僕たちの誕生日知ってるんだっけ?」
今の会話でふと疑問に感じたらしい鳴沢がそう口にする。
「それを今更訊く?」
「いや……」
「私の記憶じゃ、三人とも今年は十九歳ってことになっちゃうんだけどー?」
私が可笑しそうにそう首を傾げてみると、頭のいい鳴沢はその意味を把握したらしく、しまったというような表情で目を逸らした。
部屋に入った直後から、壁際でコソコソと『隣で待機』のために必要な準備を整えていた神藤も、私へと怯えるような視線を向ける。
「うわー、やっぱ怖いねー、水上は」
どうやら三宅も理解したらしい。苦笑いを浮かべながら、その話題を避けるみたいにアダルトチャンネルをザッピングし始める。
どうして彼らが私を恐れるのか。
理由は簡単。私は誰も知らない彼らの顔を知っているから。
それは去年の夏休みだった。長期の休暇はアダルトグッズ通販の繁忙期なので、私は父親に頼まれ通販の処理をしていた。
通販処理の特権は、どういう人がどういうエログッズを買っているのかを覗き見れること。
忙しさと面倒くささの中で、そんな遊びを見つけてしまった私は、少しでも手が空くと通販伝票や取引のデータを閲覧していた。
もしそこに、自分の知っている人物の名前があったら、どんなに愉快だろうか、と。
我ながら最低な遊びだとも思ったけれど、ムクムクと頭を擡げた好奇心を抑えることは出来なかった。
そして現実に、私は見つけてしまった―――クラスメイトと同姓同名、同じ住所のものだと思われる通販伝票を。それも三人分。
『AQUA』の通販サイトでは、十八歳未満の商品の購入をブロックできるように、生年月日の入力を義務付けている。
当時高校二年生の彼らのデータは、入力された生年月日から年齢を計算してみたところ、皆示し合わせたかのように18歳だった。
三年間同じクラスの彼らが留年なんてしてるはずはなく、おそらく月日はそのままに、安易に生まれ年だけ一年繰り上げたのだろう。
たった一歳だとしても、これは立派な年齢詐称だ。
『あなたが買ったアダルトグッズと、年齢詐称したっていう事実。クラスや先生、家族にバレたら困るかなあ?』
この魔法の言葉で、彼らは私の意のままに動くようになった。
私自身、ほんの出来心というか、こんなに上手く行くなんて思ってなかった。
けど、どうやら彼らは年齢詐称がどうのこうの――より、自分の性的嗜好を第三者にバラされることの方が抵抗があったと見える。
確かにねぇ……皆、それぞれ特殊な感じなんだもん。伝票を見た瞬間はビックリしたものだ。
同時に、世の中、色々な性癖の人間がいるということを実感した出来事でもあった。
「いやーでもさぁ、水上には正直、感謝してるンだよ」
最終的に、素人ナンパ系の作品に決めたらしい三宅が慌てたように言う。
「水上が『Camellia』に誘ってくれなかったら、オレ達はこんな金の稼ぎ方があるなんて気づかなかっただろうし」
「なぁ?」と、隣の鳴沢に振ると、
「……それは、そうだよ。下手なアルバイトより効率も報酬もいい。……助かってる」
少し躊躇するようなそぶりはあったものの、鳴沢もそう答えた。
援助交際を仲介をすればするだけ、その分『Camellia』に利益が出る――それは幹部の私達にも収入があるということを意味する。
危険な橋を渡っているのは女子生徒だけじゃない。サポートをしている私達だって一緒だ。
だから、女の子達の収入のうち、三割は私達の取り分ということになっている。
一ヶ月通せば、お小遣いと呼ぶにはちょっと多目の金額が貰えるワケで。ホントいい副業になっている。
で、その利益をきちんと四等分に配分しているのだ。
私ってば意外と優しーい。
……とか言いつつ、流石に利益を私が独占するのは憚られただけなんだけど。
報酬が四分の一になってしまったとしても、実は人並みに感じている背徳感も四分の一になると思ったら気が楽だった。
キレイなお金ではないのは重々承知しているつもりだ。それでもこの組織を運営したい理由が、私にはあった。
「ええと……そろそろ、準備ができました」
「おー了解。そっち行くわ」
神藤が壁際から控えめに言うと、三宅がテレビを消しつつひらりと手を上げて立ち上がった。
つられるように、私と鳴沢も立ち上がり、その壁際の何もないスペースに四人で小さな半円を作って座った。
「あ、あとは……いつもどおり、二人が部屋に入れば、隣の部屋の物音が自動的に届くので」
神藤の背後、壁にくっつけるように、懐かしのカセットテープレコーダーのような器械やスピーカーがセットされていた。
神藤曰く、これで隣の物音がスピーカーに流れるのだという。録音も可能だそうだ。
……私にはよくわからない世界だけど、ちょっとしたアイテムでこんなことができるなんて、と、毎回感心する。
「ありがとう、神藤」
「お前、ホントこういうの詳しいよな。さっすがヘンタイ」
私が神藤に礼を言うと、三宅がからかって笑い、当の神藤は困惑したような表情を浮かべるだけだった。
神藤がヘンタイと呼ぶのに相応しいというのは私も賛同する。
彼が『AQUA』の通販で手に入れたのは、盗撮用のボールペンと、素人投稿の盗撮アダルトDVD、そして監禁・緊縛系の写真集。
盗撮用のボールペンとは、ボールペンの中にカメラが内蔵しているタイプのもの。
本来はそういう目的で売ってはいけないモノなので盗撮には使わないで下さいと明記してあるんだけど、
その手のアイテムのマニアにとってはGOサインに等しいのだろう。
彼の内向きな性格の所為なのか、何ていうか……すごく陰湿なアイテムだな、と思った記憶がある。
スピーカーに注意を向けていると、隣の部屋の扉が開く音が聞こえてきた。
いよいよ、か―――私達はノイズ交じりの音声に耳を傾けた。
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「んっ、ぁ―――はぁっ……」
「可愛いね、もっと声出してもいいんだよ」
切なげな女の子の吐息が、室内に響いている。
相原さんの甘えたような仕草に客の方も興奮している様子で――興奮してるのは、客だけではないようだけど。
「舞チャンってこーゆー声、意外に可愛いのな……やべ、勃ってきた」
別に宣言しなくてもいいようなことを口にしたのは三宅。
『Camellia』に勧誘してくる女の子の殆どは、三宅が調達してくる。
普段の姿を知っている三宅だからこそ、そのギャップというか、違う表情にそそられているのかもしれない。
「は、恥ずかしいよ……やっ、ぁ、それダメっ……」
「ダメ? こんなになってるよ?」
「あぁんっ……ち、違うもんっ……」
「そう、ならやめちゃうよ? いいの?」
AVの常套句。安っぽい煽り文句に噴出しそうになるのを堪えた。
ベタすぎる。こういう会話を聞いていると、ツッコミを入れたくなってしまう私は、可愛くないんだろうな。
そんな私の横で、興味津々といった様子で聞き耳を立てているのは、やっぱり三宅だった。
「いじわるしないでっ……ね、もう……」
「もう挿れて欲しいの? 成陵のコって、賢そうに見えてエッチなんだなぁ」
「そ、そんなの関係ないもん……お願い、早くぅ」
「はいはい、わかったよ、今あげるからね―――」
「……んっぁあ!」
一際、相原さんの声が硬くなった。瞬間。
「お! 今、挿入ったぜ」
エロ漫画覚え始めの中学生か、というような反応に、笑いを通り越して呆れてしまう。
鳴沢も、口には出さないものの、落ち着け、というような視線をエキサイトしつつある三宅へ送っている。
「三宅くん……『隣で待機』の時は、いつも楽しそうですね」
デフォルト沈黙の神藤すらポツリとそう呟くくらいなので、共通認識だ。
「童貞にはどんな些細なやり取りにも刺激的なんじゃないの」
私が笑い混じりにポロっと零すと、鳴沢も神藤も一瞬、「え?」という顔をした。
それもそのはず、だ。私だって知らなかったら凄く意外に思ったと思う。
三宅はあれだけ女友達がいるし、モテる。相手を探せばいくらでもいそうなのに。
「ちょ、水上! ソレは言わない約束じゃーん!」
「そんな約束した覚えはないけど」
私はわざとクールに言い放つと、ちょっと拗ねた顔をしながら、
「オレはね、純情なの。そんなに簡単にカラダは捧げないってコト」
と威張ってみせる。何言ってるんだか、と思ったが、飲み込んだ。
私は、何故彼が童貞なのか、その理由を推測できる。
彼が『AQUA』で買ったアダルトグッズは、性行為の教本と、『男性』補助アイテム、それに、アレがサイズアップするという精力剤。
ここから推測できることは、彼はセックスに自信がないのではないということ。テクニックもそうだけど、彼自身のサイズ、とか。
いや、むしろ逆かもしれない。サイズに自信がないからセックスに自信がない。
高校生らしい悩みだな、と思った……まぁ、そういう自分も高校生なんだけど。
で、カマかけてみたら、奴は「童貞です」としょんぼりしながら白状した。
周囲の人間には口が裂けても言えないことなんだろうけど、悩むほどのことでもないと思ってしまうのは私が女だからだろうか?
私たちが三宅に構っている間も、隣の部屋は盛り上がっていた。
「んっ……あ、はぁっ…だ、だめぇ!気持ち良いっ……」
「そう?んっ……俺も気持ち良いよ……もっと動くね」
「ぁっ!!そ、そんなに激しく、しちゃ……あぁん!」
音でしか聞こえないのが余計想像力を掻き立てられるのか、三宅は最早真剣な表情でスピーカーから流れる卑猥な声音を聞いている。
そんな中、ほとんど興味を示さないのが鳴沢だ。
三人の中で一番勉強漬けで、欲求不満だろう彼なのに、至って普通。冷静だ。
スピーカーの音を聞いてる横顔も、何処か退屈そうですらある。
……あぁ、そういえば。
「そっか、鳴沢は、もっと年上じゃないと興奮しないんだっけ?」
「……別にそういうことじゃない」
思い出した私がイジッてみると、鳴沢はゆっくりと首を振って否定した。
鳴沢が『AQUA』で購入したのは、何と、母親と息子の禁断物のアダルトDVDを二本。そして、SMチックな女性用の拘束具。
なるほど……『ママ』が好きなんだと納得。そうであれば彼が何故、表でイイコをしているのか理解できるような気がした。
おそらく家でも母親にいい顔をしているんだろう。マザコンってヤツだ。
一方で、拘束具の注文は理解に苦しむ。嗜虐趣味の表れだろうか?
鳴沢は私と似ているようで、全く違う人間なのかもしれない。
「鳴沢も変わってるよな。若い子よりオバさんがイイなんてさ」
「だから、そういうんじゃないって」
「試しに『Camellia』の子、一人買ってみたらイイじゃん? 金出したら向こうだって断らないっしょー」
三宅が冗談のつもりで提案をすると、鳴沢は、
「『Camellia』の子は手を出せない決まりだろう」
と冷静に断っていた。そう、それは『Camellia』で定められた決まりごとの一つだ。
彼らが手を出してトラブルが起こったりしたら、たまったものじゃないから。
「やっ、も、……だめっ……が、我慢できな……」
いつの間にか、隣の部屋はクライマックスに突入していたようだ。
乱れた呼吸、律動の激しさが、音だけでも十分伝わってくる。
「っ……いいよ、もう達って……俺ももう……」
「あぁっ、ぁ、あああっ……」
「っく………」
「んぁああっ……イクッッ!!」
相原さんが切なげに叫んだ直後、不意に、動きが止まったように聞こえた。おそらく客も達したのだろう。
こうやって、一時の快楽のために客は女子生徒に決して安くはないお金を払う。
いつもこの瞬間だけは、何だかな……と思ってしまう。
「あー、コレは出したね。ウラヤマー!」
行為を間近で聞いて、妙なテンションになっている童貞くんが、そう喚きながら立ち上がる。
「もー我慢できねー。水上、手解き頼むっ」
「は?」
私は思いっきり不快な気持ちを込めて、三宅を見上げた。
「だからー、ドーテーなオレのハジメテを貰って?ってコト」
「……馬鹿じゃないの」
何を言い出すのかと思ったら、くだらない。
私は立ち上がってそう切り捨てながら、ソファへと歩き出す。
「いーじゃん、どーせ水上もハジメテじゃないンだろ?」
私を追いかけるように、三宅がソファに座ろうとした私の手を引いて、お姫様ベッドへ押し倒そうとする。
まさかそう来るとは思わなかった私は、彼の思惑通りにベッドへうつ伏せに沈んだ。
「ちょ……!」
「ね? 協力してよ」
起き上がろうとすると、肩越しに、下心満載なギラついた眼差しで見下ろす三宅の顔があった。
背中じゅうに虫が這うような、ぞわりとした感覚に悪寒がする。
私は慌ててベッドの上で半身を回転させ、そのまま立ち上がろうとしたところ、奴は私の頬に触れ、あわよくば口付けようとしてくる。
「やめてよっ!!」
全身を駆け上がる嫌悪感。私は感情の赴くままに力いっぱい三宅の頬を打った。
パシッ、というような小気味いい音じゃない。バチンッ! というような暴力的なそれ。
「いってェー!」
三宅が打たれた頬を押さえている間に、私はベッドから起き上がった。
「ふざけないで! 三宅なんて何があっても絶対お断りだから!」
厳しく罵るように私が吐き出すと、遠目に見ていた鳴沢や神藤も、ただ事ではないという様子で近寄ってくる。
それだけ、凄い剣幕だったのかもしれない。
「じょ……冗談じゃん……そンなに怒んなくたって」
「しかも傷ついた」とかブツブツ呟きながら、頬を押さえたままの三宅が不満をたれる。
例え冗談だとしても、こういう風に触れられるのは我慢できない。
驚きのあまり、平穏だった心を掻き乱された怒りが沸々と沸いてくる。
「私、こういう冗談は大っ嫌い! アンタの『弱み』をクラスメイトにぶちまけられたくなかったら、心に留めておくのね!」
そう怒鳴ったあと、「困惑しています」と顔に書いてあるような他の二人の姿が目に入る。
……ちょっと、騒ぎすぎてしまったか。
自分の暴走を反省しつつ、スピーカーからは雑談のようなものが聞こえていた。
隣はおそらくもう大丈夫だろう。後は、神藤たちに任せてしまえばいい。
「……気分が悪い。私、先帰る。最後まで終わったら、アンタ達も帰っていいから」
「おい、水上」
「え、マジ? 先帰るの?」
鳴沢と三宅の問いかけに答えることなく、スクールバッグを拾い上げると真っ直ぐ扉に向かった。
「あの……お疲れ様、です」
神藤の、いつにも増してオドオドした声に見送られながら、私は部屋から逃げるように出て行った。
『いーじゃん、どーせ水上もハジメテじゃないンだろ?』
残念でした。そんな期待を裏切り、私は処女です。
なんて言えるはずもない。いや、仮に私に経験があったとしても、ああやって触れられることにどうしても我慢できなかった。
私の性嫌悪とも呼べるこの状況は、気が付かないうちに進行してしまっているようだ。
それに引き換え、今の相原さんの働きぶりには感心した。
初めてにも係わらず、充分楽しんでシゴトをこなしてくれていた。演技か本気かはこの際、どうだっていい。
やっぱり相原さんはじめ『Camellia』の女の子のように、楽しみつつ稼げる立場の方が楽なのか。
……いや、そんなことはない。欲望や衝動に動かされず、利用する立場の方が賢いって私自身が言ったんじゃないか。
性欲を満たすより、性欲を利用するほうが利口なんだ。
――それを証明することが、『Camellia』を運営したい理由だっていうのに。
なのに三宅のヤツ、よくも動揺させてくれて……。今に覚えてろよ。
お腹の底からドロドロした感情が競り上がってくる感覚を振り払いながら、その日は急いで家路についた。
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