Scene.4-4




 初めて彼女に出会ったのは、小学校一年の入学式のとき。

 着慣れない正装にゴキゲンでおしゃべりするクラスメイト達の輪に入れず、

 ひたすら俯いていた私に、前の席だった彼女が振り向きざま声を掛けてくれたこと。

「フデバコ、かわいいねぇー!」

 机の上に出しておいたキャラクター物のそれを見るなり、彼女がにこにこ笑いながら言う。

 ファーストインプレッションは、強気そうで恐いかも……、だったけれど、

 意外と親しみやすい子なのかもしれない、と思った。

「さわっていい?」

「う、うん……」

 だけど勢いがあるというか、

 私と違って、ハキハキとした口調の彼女に戸惑ってしまったことをよく覚えている。

 一頻り、中身をチェックした後、

「ありがとー。あたし、ちばまことっていうの」

「わたし……つきしま、めい、です」

 同級生に丁寧語を使ってしまうくらいの人見知りでも、彼女は快く頷いてくれた。

「めいちゃんだね、よろしく!」

「よ、よろしく………」

 真琴ちゃんはいつもキラキラしてて、眩しくて。

 気がついたら、私にとって大切な存在になっていた。

 そんな大切な真琴ちゃんだからこそ、きちんと話をしたい。

 願わくば―――これからも親友で、いたい。

 
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 二限から四限まで授業が詰まっていた私は、お昼休みになって漸く職員室へと戻ってくることができた。

 おそらく其処にいるだろう職員室へと足を踏み入れるのは、正直、勇気がいる。

 私がやってしまったことの重さを考えれば尚更――でも、逃げるわけにはいかないもの。

 此処で謝らなきゃ、もっともっと後悔すると思うから。

 緊張からか、職員室前の廊下を足音立てず、忍び足で歩いてしまう私。

 心の準備を整えてるだけ、と情けなくも自分に言い聞かせながら、僅かに開いた扉から、

 そっと中を覗き込んだ。

 ――いつもの真琴ちゃんの席に、彼女はいた。広い職員室に、貸切状態。

 でも、どこか様子が変……身体を少し震わせながら、俯いている。

 携帯を見ているのだろうか。その液晶に、一瞬、滴るものが見えて……。

「高遠……」

 涙声、だった。驚きのあまり、思わず彼女の名を呼んでしまう。


「真琴ちゃん……」

 私の声に、彼女も驚きを禁じ得なかったらしく、サッと目元を押さえて、涙を拭う。

 そして、 ゆったりとした所作で、チェアに腰掛けたまま私の方へと振り向いた。

 私が知ってる限り、真琴ちゃんが涙を見せることなんてほぼ無い。

 ただ事ではない空気を感じて、直球を投げた。

「高遠先生から、メール……来たの?」

「…………」

「ね、そうなんでしょ……?」

 真琴ちゃんは押し黙ったように答えなかった。

 ………何か、あったんだ。

 ううん、けど、それより――まずは、私が真琴ちゃんに謝るのが先。

 私は、彼女へと一歩一歩歩み寄って行った。

「め、芽衣……」

「ごめんね、真琴ちゃん」

 言いながら少し姿勢を低くして、大好きな親友の肩を抱いた。

 真琴ちゃんはどうしていいかわからない、というような様子で、身体が強張っているのが伝わってくる。

「私、解ってたよ。真琴ちゃんが、高遠先生のこと好きだって」

「……え?」

「それにね、高遠先生が真琴ちゃんのことが好きだっていうのも――でもね、知らない振りをしてたの」

「め、い?」

 私が身体を離すと、真琴ちゃんも立ち上がり、丁度対峙する形になる。

「高遠先生が私のこと好きだっていうのはね、嘘なの」

「嘘……?」

「うん。……あの日。私の誕生日、高遠先生と食事をしに行った日。私、勇気を振り絞って告白したんだ。

でもね、ダメだったの――好きな人がいるからって」

 あの時の光景が頭を過ぎった。

 『……気になる女性が、居るんです』

 言い出し辛そうに高遠先生が言い淀んだ、相手。

「それが真琴ちゃんだって直ぐに解った。―――けど、認められなかったの」

「ちが、違うよ、芽衣、私―――」

「違うの、いいの、真琴ちゃん」

 身振りを交えて、慌てて否定する真琴ちゃんに、責めているわけではないことを告げる。

 そう、責めてなんていない。私はただ、彼女に謝りたいだけなのだから。

 先程椎名君に話すことで整理できた気持ちを、改めて振り返りながら続けた。

「勿論、大好きな高遠先生が取られちゃうなんて、って気持ちもあったけど……でもね、もっと大きかったのは、

真琴ちゃんが、高遠先生に取られちゃうってことだったんだと思う。―――変な話かもしれないけど」

「私が、高遠に……取られる?」

 その意味を確認するように、真琴ちゃんは訊ねた。

 ――確かに、自分でも子供っぽいなと、幼稚だなと思う。完全に発想が思春期だもの。

 けど……私が真琴ちゃんに必要とされなくなるのが、嫌だったのかな。

「今までも、真琴ちゃんに彼氏はいたけど、何ていうか――真琴ちゃんって飽きっぽいし、『本気だ!』って自分で言ってても、

案外そうじゃないような所があったでしょ?」

「そ、そうだっけ……?」

「そうだよ。私は、ずっと見てたから解るの」

 熱しやすく冷めやすい真琴ちゃんは、燃えるような恋をしても、急速に冷めていくことが多かった。

 本人に自覚はないかもしれないけど、その分、傍にいる友達――例えば私にも、時間を割いてくれていた。

「……それでも、高遠先生は違う気がしたの。真琴ちゃんは、『本気で』高遠先生が好きなのかもしれないって。

私が『高遠先生に好きだって言われた』って報告した時の真琴ちゃんの顔、忘れられないもん。」

 真琴ちゃんの瞳が大きく揺れた。

 私に言われて初めて気づいたのかもしれない。

「結局ね、ヤキモチ焼いてたの。真琴ちゃんにじゃなくて、高遠先生に」

「芽衣……」

「だから、高遠先生が真琴ちゃんを脅して……その、関係を持ってるって知った時は……色々、ショックだったんだよ」

 職員室の出来事は、かなり衝撃的だった。

 その……行為自体に抵抗があった、っていうのもそうなんだけど……。

 昨日の夜は、二人の声音や吐息が頭に絡み付いて離れなかった。

 特に高遠先生は――別人かと思うような口ぶりで、真琴ちゃんにキツく物を言っていたから。

「高遠先生の変貌振りもそうだし、繰り返し真琴ちゃんがあんな目に遭ってるっていうのもそうだし。

……何より一番ショックだったのは、私に相談してくれなかったこと、かな」

 あの時の私には、急に真琴ちゃんが離れていってしまうように感じられて……。

 今になれば、必要以上に私が気にしすぎていたということなんだろうけれど、

 自分自身でもこんなに平静でいられなくなるなんて、思いもよらなかった。

「十何年も親友やってるのに、相談もしてくれないんだって思ったら、何だか寂しくて、悲しくて。その内悔しくなってきちゃって……

悔しさが怒りになって、イライラして、大人気ないけど――あんな形で発散、しちゃったんだよね」

 言いながら、自分の身勝手さに羞恥で声が震える。

 こんな醜い部分を晒してしまって、真琴ちゃんにどんな顔をしていいのかわからない。

 私は、小刻みに震える両手で顔を覆った。

「今は凄く申し訳無いことをしたと思ってるの。取り返しのつかないことをしたって――でも、でもね、あの時の私には抑えられなくて。

それに今日も……真琴ちゃんにとって、私は何なんだろうって考えたら、言葉が止まらなくなって……」

「親友だよ」

 迷いの無い声音が返ってくる。

 反射的に、私は両手を解いて彼女を見やった。

「芽衣は、私の大事な親友だよ。決まってるじゃない」

「真琴ちゃん……」

「ごめんね、芽衣。芽衣がそんな風に思ってるなんて、知らなかったの。――私から望んだ関係じゃなかったとしても、

芽衣を裏切ったことには変わりないでしょ。だから、それがバレて、芽衣に嫌われて……軽蔑されるのが、怖かったの」

 真琴ちゃんの綺麗な顔に、一筋、涙が伝う。

 今度は私のために――あの気丈な真琴ちゃんが、泣いてくれている。

 それだけで、私の心は温かさや優しさで満たされていった。

 ―――まるで、さっき、音楽室で椎名君の微笑を見たときのように。

「良かった……芽衣に嫌われてなくて……軽蔑されてなくて」

「真琴ちゃん」

 私は真琴ちゃんの身体を抱きとめた。

 スパイラルパーマの柔らかい髪をゆっくり撫でながら、小さく首を振った。

「嫌いになんてなる訳ないよ。真琴ちゃんは、私の大切な親友だもん……」

「芽衣、本当に? 私、まだ芽衣の親友で居て良いの?」

「当たり前だよ。真琴ちゃん以外なんて、考えられない」

 私が確りとそう言うと、真琴ちゃんは少しの間の後……また、向かい合うように距離を置いて、

「ありがとう―――ありがと、芽衣」

 猫っぽいチャーミングな瞳が涙で溢れんばかりの彼女。

 その彼女が、その言葉を噛みしめるように言い、微笑った。

 ううん。ありがとうって言わなきゃいけないのは、私。

 改めて、こんな私の親友で居てくれるって言ってくれた真琴ちゃん―――

 もう十分だよ。

 これから先もずっとずっと、大好きな親友でいたいから。

 ……私も、真琴ちゃんにだけ頼るのは――もう、卒業しないとね。

 私は意を決して言った。

「だから……だからね、真琴ちゃん。認めて良いんだよ」

「え?」

「高遠先生が、好きなんでしょ?」

 気づいていて、知らない振りをしていたのは勿論私。

 でも、それももうお終い。

「もう無理しなくて良いんだよ。認めて良いの。私に気兼ねなんて必要ない」

「ち、違うよ、芽衣」

 驚いたような、狼狽したような反応を見ればすぐにわかる。真琴ちゃんは私に遠慮して、今まで言い出せなかったんだ。

 それどころか、自分の気持ちを押し殺して……。

「否定しないで」

 もうこれ以上、真琴ちゃんに気持ちを偽って欲しくなかった。

 私がそんなこと言う資格なんてないのも分かってる。

 でも、真琴ちゃんの立場を想像してみて初めて気づいた。

 誰かを好きと思う気持ちが叶わないことより、誰かを好きと思う気持ち自体を封印してしまうことの方が、何倍も辛い――そんな気がした。

「さっき泣いてたのは誰の為? 普段は絶対に泣かない真琴ちゃんが泣いてたのは……」

「………」

「高遠先生の為、でしょ?」

 今度は、先程よりももっともっと、迷うような間があった。

 真琴ちゃん自身、まだ認められないのかもしれない。

 けど漸く、その迷いを振り払うように、

「――――芽衣、ごめんね……私、私……高遠のことが、好き、みたいなの……」

 途切れ途切れ、苦しそうに気持ちを吐露する真琴ちゃん。

「よくできました!」

 私は椎名君を真似て、わざと教師っぽい口調で笑って見せた。

 そして――彼にされたように、親しみを込め梳くように頭を撫ぜた。

「高遠先生にも、それ……言えるでしょ?」

 彼女はその問いかけに、戸惑いながらも頷いた。

 ―――よかった。

 私は二人のことを心の底から、そう思うことが出来た。