Scene.1-1
オレには好きな人がいる。
その人の名前は月島芽衣(つきしま めい)。
オレの通う私立成陵高校で働く音楽教師――であると同時に、オレが所属する3−Cの担任でもある。
カラーリングしていない柔らかい雰囲気のボブは、二十五歳という年齢よりもずっと幼く見え、どちらかといえば小柄な容姿を際立たせている。
教師の癖に人前に立つことや目立つことが苦手で、いつも何処となく自信なさげというか、頼りない所作もその一因なのだろう。
だからか知らないけど、二言目には「私なんて」と口にする。
「私なんて全然可愛くないし」、「私なんて全然ダメだから」――それが彼女の口癖だ。
よく言えば謙虚。悪く言えば卑屈……それもハンパじゃなく、超がつくほどの。
自分が好意を寄せている人からそういうネガティブな言葉を聞くのは辛くて、「そンなこと言うなよ」と注意した時期もあったけど、
キリがないので最近はサラッと流すようにしている。
彼女が何故そんなに自信がないのか、一から十まで事細かく聞いたワケじゃないけど、
オレが思うには、彼女の親友の存在が大きいんじゃないだろうか。
親友の名前は、千葉真琴(ちば まこと)――今年成陵高校に赴任してきた家庭科教師。聞けば小学校時代からの付き合いらしい。
真琴センセは彼女とは真逆。ポジティブで社交的、華やかな見た目に反して男っぽくカラッとした性格。
真逆と言いつつホメたりすると、彼女にマイナスイメージを持ってるみたいに思われるかもしれないけど、断じてそれはない。好みの問題だ。
結論を言えば、オレは、明るいノリでも他人のプライベートに無遠慮に入り込んでズケズケと物を言う真琴センセよりも、
例え大人しすぎるほど控えめでも、相手の気持ちを思いやれる彼女の方に好感が持てるということ。
まあ、真琴センセみたいにアレだけ目を惹く――見た目限定、だけど――同性と十何年も一緒に居れば、捻くれたくなる気持ちもわからなくない。
寧ろよくわかる。わかりすぎるほどに。
周囲から憧れや羨望を抱かれる相手が常に傍にいると、自分がちっぽけな存在に思えてくる。
脳裏に、イヤミで尊大なメガネの男の姿が過った。
似た者同士――とはよく言うけれど、そういう意味では、オレと彼女は似ているのかもしれない。
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「今日で一学期は終了です。皆さん、予備校や塾の夏期講習や受験勉強に励むのはもちろん大切ですが、くれぐれも体調を崩さないようにしてくださいね」
冷房が完備された教室。びっちり閉じた窓越しでも、忙しく鳴く蝉の声が微かに聞こえる。
教卓の前で出席簿を抱きながら締めの挨拶をする彼女を、オレは窓際の一番後ろの席から眺めていた。
清潔感のあるスカイブルーのブラウスに、薄いベージュのスカート。
彼女は青が好きらしく、シャツやブラウスはだいたいこの色を着ていることが多い。
プライベートではほんの数回しか会ってないけど、お気に入りだと見せてくれたワンピースも確かブルー系だった気がする。
「――では、私からは以上です。気を付けて下校してください」
「起立」
彼女が話を終えると、学級委員が号令を掛け、クラス全員が立ち上がる。オレもそれに倣って椅子から腰を上げた。
「礼」
声に従い緩慢に頭を下げる。
……やっと一学期が終わった。これで暫らくの間、朝早く起きずに済むな。なんて思っていると。
「椎名」
ぽん、と右肩を叩かれてそちらを見る。隣の席の土屋礼司(つちや れいじ)だった。
クラスで一番テンションが合うのがコイツ。周りからは雰囲気も何となく似てると言われる。
朝がニガテなオレに、毎日おはようメールを送ってくれる心優しい菩薩みたいなヤツだ。
その甲斐空しく、オレの遅刻回数は結構ヤバいことになってるらしい。
それには早起きの難しさ以上の深い深い理由があるんだけど、マジで起きられないことも多いから、
せめて卒業できるくらいには留めておかないと、と焦ってはいる。
「何?」
「や……その」
「なンだよ、今日でガッコ終わりだってのに、浮かない顔しやがって。さては予備校で合宿三昧か?」
茶髪に気崩した制服にピアス――それも左右合わせて五つもピアスホールのある土屋だけど、ヤツの志望は国公立大の薬学部だ。
家の事情で浪人は出来ないって話だったから、この夏は勉強の鬼になるのだろう。見掛けによらないクソ真面目だ。
「そういうワケじゃないけど」
「じゃァなンだよ、珍しく歯切れ悪ィな」
「……紺野のこと、何か知らないか?」
「はァ、紺野?」
オレはつい眉を顰めた。
紺野というのは、紺野楓(こんの かえで)――同じ3−Cのクラスメイト。
パッと見、地味……もとい、真面目そうに見える癖して、さり気なくサボりの回数が多いヤツ。
自分で言うのも何だけど、不本意にも遅刻魔の称号を得てしまったオレのおかげで、多分周りはノーマークに違いない。
言われてみればここ数日間、紺野は学校を欠席しているようだ。
「終業式だってのに、アイツ学校に出てこないから」
「具合でも悪いンじゃね?」
「……そーなンかな」
「訊けばいーだろ。本人に直接」
ケー番やメアドだって知ってるんだし、ウダウダしてないで直接訊いてみたらいいだろうに。
「メールしたけど返事がねえンだよ」
「そんだけ体調悪いンじゃん? つか、紺野のことなら長澤とかの方が詳しいンだし、アイツに訊いてみたら」
オレに訊かれたって。頭を掻きながら言った。
長澤葉月は紺野の親しい友達。クラス内で何かグループを作るときは、この四人で固まる場合が多い。
男二人に女二人。仲良い同士がくっついたと思われがちだけど、それはカモフラージュ。
土屋は紺野とは中学の同級生で、ずっと紺野のことが好き。二年のころ、何とか一緒に行動できないかとオレに相談してきたことがあった。
で、そんなら協力してやるよ――と、四人で行動する流れに持っていったってワケ。
「あー……そーだよな。そーするわ」
紺野とあまり接点のないオレに訊いても仕方がないと気づいたんだろう。
土屋は素直に頷いて、教卓のまん前のアリーナ席で荷物の整理をしている長澤のもとへと向かった。
アイツ、めっちゃ焦ってんな。でもま、当たり前か。
四日も音信不通で学校休んだりしたら、誰だって何かあったかもしれないって思うだろう。
そんなに心配なら、普段から紺野に優しく接してやればいいのに。
冷たいってほどじゃないにしても、アイツは自分の気持ちをストレートに言えない性質だから、
無意識のうちに紺野にキツいことを言ってることがあって、気の毒に感じることがある。
きっと、本人は自覚してないんじゃないだろうか。
……とか言って、そこに関してはオレも他人のこと言えないんだけどさ。
ふと教卓の前で他の生徒と雑談をしている『あの人』へと視線を向けた。
今日を迎えて肩の力が抜けたように見えるのは、夏休みの間、暫らく生徒のことを忘れて羽を伸ばせるからなのだろう。
担任を持つのが初めてなのに急に三年生のクラスを任されたものだから、務まるか不安だってオレにグチっていたっけ。
夏休みになれば『あの人』と毎日顔を合わせることは出来なくなるけど、その分二人きりでゆっくり会う機会を作ることができる。
校内だとどうしたって他人の目が気になってしまう。
一コマだけ『あの人』とマンツーマンの授業があったりするけど、『あの人』も教師としての使命感に燃えちゃったりして、
その間はきっちり授業の話しかしないからな。
「おい、椎名」
長澤から何か情報が得られたらしく、さっきよりはマシな顔つきになって土屋が戻ってくる。
「ン?」
「ハラ減らない? 何か食べて帰ろうぜ」
「……あァ」
紺野のことはいいのだろうか。訊こうと思って止めた。
訊く時間はたっぷりある。メシでも食いながらあとでゆっくり訊こう。
オレと土屋は他の友人たちに短く別れを告げつつ、踵を潰した上履きの音をカパカパと慣らしつつ後方の扉から出て行った。
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