Scene.1-2



「紺野のヤツさ、どーも何かあったみたいなンだ」

 成陵の近くにあるファストフード店の二階。

 窓際のカウンター席で、土屋はオーダーしたバーガーの包みを開けながら言った。

「なンかって……なンだよ。嫌に抽象的じゃねェか」

 オレは早々とフィッシュバーガーに食らいつき、油の滲む白身魚を前歯で噛み切りながらそう返す。

「それはまだわかンないンだ。でも、何かあったってことだけは確か」

「イミ不明」

「……だよな」

 ハハッと小さく笑った土屋は、手にしたバーガーを齧りやすいように包みを丁寧に捲くって、控えめにかぶりつく。

 土屋は見てくれの割りに、行動の随所で育ちの良さというか礼義正しさが垣間見える。

 まるで、気にしたがり屋の女子みたいな。

 美味そうに頬張るそれも、アボカドバーガーなんていういかにも女子好みのチョイス。

 サイドメニューもサラダを選んだらしいところをみると、嗜好はそっち寄りなんだろう。

「で? ソレ、長澤に訊いたの?」

「まァ、そう」

 長澤も土屋と同様に紺野のことを気にして、自宅に電話を掛けたりしたらしい。

 でも、そのときの母親の対応がどうも怪しいとかで、「これは絶対に何かある!」と踏んでいるようだ。

「アイツはお前ほどではないにしても、確かに休みやサボリが多いし、どうにかしてやらなきゃと思ってたンだけど」

「悪かったな」

 オレのは意図的だったんだよ、意図的。……知ってる癖して。

 軽く睨んでやると、土屋は「ジョーダン」と困ったように笑ってから、表情を引き締める。

「……でも、アイツさ、最近の模試、全部E判定食らったりしてて」

「そりゃゴシューショーサマだな」

「もっとも、それはキチンと受けてないからなンだけど」

「キチンと受けてない?」

「模試中寝たり、途中で帰ったりしたンだと」

「なンのために」

 思わず眉を顰める。紺野は何のためにそんな真似をしたのだろう?

 元より進学する気がないヤツは別として、この時期の模試っていうのは手を抜いてなんていられないのに。

「さァな。それが分かれば苦労しねェよ。……で、変だなとは思ってたンだけど、そしたらココンとこずっと欠席だろ」

「……あー、アレじゃね? どっかの塾の短期集中コースに参加中で、カンヅメとか」

 朝から晩までホテルで――なんて話、聞いたことがある。オレなら絶対ヤだけど。

「そーゆーのはどこも終業式後の八月とかにやるモンだろ」

「まァそうだよな」

 手の中のバーガーと、サイドメニューのオニオンリングとを交互に口に運びながら頷く。それにはまだ時期が早いか。

「アレだ、もう神頼みしかないと思って、学業成就の神社とか寺巡りしてるとか」

 パワースポット的な〜、とかいい加減に言ってやると、土屋は露骨に不満げな表情を浮かべる。

「椎名、お前フザケてンだろ」

「バレた?」

「あのなァ、俺は真剣に――」

「あーハイハイ」

 早々にフィッシュバーガーを食べ尽くし、内側にうっすらタルタルソースのついた包みを片手でくしゃっと握りつぶして続ける。

「悪りィ悪りィ。好きな女が学校にも来ない、メールも返って来ないじゃ、そりゃイライラするよな」

 空いている方の手で拝んでやる。と、土屋はフイっと視線を逸らす。

「……俺は別に、そういうつもりじゃ」

「素直じゃねェな。そンだけ心配してるくせに、照れンなよ」

「素直じゃねーとか、構って欲しくて担任に反抗してたヤツにだけは言われたくねェよ」

 丁度、ストローから吸い上げていたコーラを噴きだしそうになった。

「おまっ……その話、今はカンケーねェだろ」

 ニヤニヤとこちらを見つめる土屋を睨みつける。

「他人のコト言えねェってワケなンだよ、覚えとけ」

「ウッセェ」

 吐き捨てるように言いながら、担任――今しがた、教卓の前で夏休み前最後の指導をしていた『あの人』を思い浮かべる。

 仕方ないんだよ。『あの人』を巡っては、オレの人生においても最大の壁として立ちはだかる強敵が絡んでる。

 ソイツに勝とうと思ったら、正攻法じゃどうにもならない。

 少しでも『彼女』の記憶の中に色濃く残るにはどうしたらいいか?

 ……っていうのを、オレなりに考えた結果がコレなんだ。

 そして、去年よりも『あの人』との距離を格段に縮めることができた今、その方法は間違っていなかったと言っていいだろう。

「――話戻るけど、マジメな話、心配なのはわかる。あンだけ仲いい長澤も事情を知らないってのは妙だし」

「だろ?」

 サラダそっちのけで、ちびちびとアボカドバーガーを咀嚼する土屋が、包みから顔を上げて訊ねる。

「あァ。こーなったら、長澤と協力して特攻するしかねェンじゃねーの」

「特攻って、紺野の家にか?」

「それでもいーし、長澤と話し合って、紺野がトラブッてそうなコトがあれば、詳しく調べてみるとか」

 他のクラスメイトよりは行動を共にする回数は多いものの、凄く仲がいいというワケではないオレには、

 こんなごく当たり前のアドバイスするのが精一杯だ。

「……なるほどな」

「それより土屋。もーそろそろコクってもいいころなンじゃねェの?」

 オニオンリングも平らげてしまったオレは手持無沙汰で、コーラに刺さったストローの先を噛みながら言った。

「お前、昔紺野にコクられてんだろ? 勝ち戦みたいなモンじゃん」

「……それ、中学のときの話だかンな。今、アイツが俺をどー思ってるかなんて、わからないだろ」

 土屋がため息混じりに呟く。

 この二人、最初に恋愛感情を抱いたのは、実は紺野のほうだったらしい。

 告白するも、お坊ちゃん育ちで恋愛に疎かった土屋は、

 『ご、ごめん。紺野のこと、そういう風に見たこと無い』 

 なんて抜かしたもんだから、紺野はあえなく玉砕。

 その後、気まずい時期を過ごすも、高校受験で二人揃って成陵に合格すると、その気まずさを払拭するべく、土屋のほうから、

 『俺、高校に入っても紺野と仲良くしたいんだけど、紺野は嫌か?』

 と提案し、友人関係が復活したんだとか。

 以降、この居心地のいい関係が壊れるのが怖くて、宙ぶらりんのまま今に至るってワケだ。

「しかし、もったいねーな。最初にOKしときゃよかったのに」

「無茶言うなよ。初めて告白なんてされて、頭真っ白になっちまったンだから」

「でも断った直後なんだろ。お前も紺野のコト意識し始めたのは」

「そーだけど……でも、告白されたから好きになったって思われるのもシャクだろーが」

 ……ま、確かにそうか、と思う。それじゃ、あまりにも単純すぎるもんな。

「てか、土屋は臆病すぎンだよ。ほぼほぼ両想いじゃねーか」

 オレが知る限り、紺野にはクラスで土屋よりも親しい男友達なんて見当たらない。

 部活動も引退してるから他のクラスのヤツらとの係わりだってないだろうし。何を躊躇してるんだ、コイツは。

「俺のことはほっとけ。てか、お前の方こそどーなんだよ?」

 土屋は減らないバーガーを噛み締めながら、不機嫌に訊ねる。

「あン?」

「その後、順調なワケ? 芽衣センセと」

「まァ、な」

 何をもって順調とするのかはわからないけど、少なくとも危うい状況ではない。

 『あの人』――芽衣センセとは、一、二週間に一度は、プライベートで出かけることができる仲になった。

 新学期開始直後にイロイロと頑張った甲斐があるってもんだ。……正直、ちょっとやり過ぎた場面もあったけど。

「そーかよ。……お前は楽しそうでいいよな、椎名。担任のセンセと秘密の恋愛かー」

「あンまデカイ声で喋るなよ。ガッコのヤツらに聞かれたら終わるだろ」

 オレは反射的に周囲を見回した。

 どうやら成陵の、深緑のチェックのスラックスやスカートを穿いている生徒はいないみたいだけど、いつ現れてもおかしくはない場所だ。

「あ、悪りィ悪りィ」

 無意識だったらしく、土屋は素直に謝りつつ、今度は声を潜めて言った。

「それにしても、七歳も年上なンだろ、芽衣センセ。そーゆーの、気にならねーの?」

「別に」

 オレは素直に答えた。そう言われてみれば、あまり『あの人』を年上だと意識したことはなかったと気付く。

 おとなしくて控えめな性格や、全然男慣れしていない初心なところがそう思わせるのかもしれない。

「へェ。……芽衣センセ的にはどうなンだろな。七つも年下って。下手したらインコーだろ?」

「じゃねーし。悪いけど、オレもう誕生日来てるから」

 それまで噛んでいたストローから口を離して言う。

 四月の頭に歳を重ねていたオレは、もう十八。淫行とやらには当たらない。

 それまで両親のことはあまりよく思っていなかったけど、春先にオレを産んでおいてくれたことだけは感謝している。

「だとしてもだぜ? 二十五と十八だろ。……こう、マズいなーとかって、思ったりしてねーのかな」

「……マズい?」

「立場的にも、年齢的にも。向こうのほうが、さ」

「…………」

 心当たりがないわけじゃない。

 オレが気にしなくとも、教育熱心で真面目な『あの人』は、少なからず気にしているだろう。

 無言でいると、思い出したみたいに土屋が続ける。

「それにホラ――芽衣センセ、お前の兄貴にホレてたワケじゃん。兄にフラれたから弟に……って、すぐ行けるモンなのかなって」

 それまで握りしめていた空の紙カップをテーブルに置くと、思った以上に大きな音が出てしまった。

 オレが機嫌を損ねたのだと勘違いしたらしい土屋は、ちょっとビビッた表情を浮かべてから「いや」と首を横に振る。

「ま……まァ、お互いがよければいーンだろーけどさ。俺が口突っ込む話じゃなかったな、悪りィ」

 宥めるように捲し立てる言い方をしたということは、明らかにオレに気を遣っているということ。

「ちげーよ。気にしてねーし」

 かぶりを振って答える。そういうつもりじゃなかった。

 土屋の疑問は当然だろうし、オレ自身、心の何処かで引っ掛かっていることだったりする。

 教師と生徒という関係。年齢差。オレと『あの人』を隔てる障害はそれだけじゃない。

 物心ついたころから、オレが超えられない壁として認識していた、実の兄の存在。
 
「……そー考えると、椎名も楽しいばっかりじゃねーよな」

「いまさら気付くな、バーカ」

 オレは苦笑した。

 そう、『あの人』との関係は、進展はしていても、まだまだ素直に楽しいと思える領域にまでは達していない。

「――いーンだよ。それでも『あの人』じゃなきゃダメなンだから」

 他の誰でもダメだ。『あの人』――芽衣センセじゃなきゃ。

 土屋が食べ終わるのを待ってから、オレたちは冷房でキンキンに冷えた店内から、再びうだるような暑さの街に戻ったのだった。