Scene.2-3



 その日の写真撮影を終えるとまっすぐ自宅へ帰り、着替える暇も惜しんで『Camellia』の作業をしていた。

 
神藤から貰った写真のデータをパソコンに取り込み、それを画像編集ソフトで加工する。

 例えば、ニキビを消したり、瞳の黒目部分をすこーしだけ大きくしてみたり、肌の色を整えてみたり。

 頑張りすぎると別人になってしまう可能性があるので、あくまでもやりすぎないことが大切。

 こういう、些細な努力で客の利用回数も変わってくるから侮れないのだ。

 編集した画像と、予め女の子に答えて貰った簡単な質問事項――血液型とか星座とか趣味とか、そんな感じの――、

 そしてその子とベッドインするのに掛かる一回分の料金がプロフィールとして記載される。

 料金については女の子によって価格が違い、私達から見てレベルが高いなと思う子ほど高い値段がつくようになる。

 ちなみに、今日の斉木さんは過去登録した女の子の中でも最高金額だ。まさに、高級娼婦といったところ。

 以上を乗せたページを作って、最後に女の子の名前からそのページへ飛べる様にリンクを貼る。

 この名前っていうのは、言ってしまえば源氏名みたいなもので……カタカナでそれぞれ好きな名前を設定して貰っている。

 あまり拘らない子は自分の名前をそのまま使ってしまうこともあるんだけど、それは好き好きってことで。

 斉木さんは――ユリカ、か。まぁ、ユリカって感じだよねー。ホント、美人っていいわー。

 なんて口に出したら妬みかと突っ込まれそうなことを思い浮かべながら、彼女のページが完成した。

 斉木さんの後に撮った子の写真も、同じように加工してページを作っていく。

 それらをアップロードしたら、あとはシゴトが入るのを待てばいい。

「はぁ……」

 ファイルを転送し終わって、大きく伸びをした。

 掛かった時間は全部で50分弱、くらい。初めの頃は、一人に付き1時間くらい掛かっていたっていうのに、もう慣れたものだ。

 と、部屋の外からノックが聞こえた。

「智栄? いるのかい?」

 この家に居るのは私を除けば一人しかいない。父親だ。

 全く、折角作業が終わったところだっていうのに。何だっていうんだろ。

「いるよ、何?」

 私は扉を開けることはせず、部屋の中から応答した。

「ちょっと、話をしたいことがあるんだが」

「…………」

 先日、父親が何か言いかけていたことを思い出す。

 どうせ、吉川さんのことなんだろう。面倒だけど、流石に今は逃げられないか……。

「ちょっと待って、今開けるから」

 作業に没頭して仏頂面だった私は、表情筋をマッサージしながら扉へ向かって、その境界線を解いた。

「どうしたの?」

 笑顔を浮かべているけど、その実は一番気を張らなければいけない時間。

 それが、父親と話す時間だ。

「勉強中に悪いなぁ、智栄。いつも頑張ってるみたいだが、無理はしちゃだめだぞ」

 父親は、私が自室にいるときはいつも勉強しているものだと思っているらしい。

 まぁ、食事以外は殆ど部屋から出ないから、そう思われていても不思議じゃないかもしれないけど。

「うん、ありがとう……で、何?」

 早く用件を言えよ、と内心思うも、そこは堪えて笑顔をキープする。

「実はな――お前にはずっと黙ってたんだが……お父さんと会社の吉川さん、今お付き合いをしていてな」

 そんなのとっくの昔に知ってたよ、と言いたい所を飲み込んで、「そうなんだ」と少し驚いた振りをしてみせる。

「それでなぁ……今度……」

 やけにもったいぶりつつ恥ずかしがる父親。

 この流れは、もしかして……。嫌な予感が過ぎる。

 そして、続く父親の一言が、ダメ押しになった。

「お父さん、再婚しようかと思うんだよ」

「………」

 どんなに笑顔の鉄面皮で防御していても、この一瞬ばかりは不快感を隠せなかったかもしれない。

 再婚。父親と、吉川さんが。

 二人は、身体だけじゃなく、精神的にも深い関係になっていたというんだろうか。

「ほら、吉川さんなら智栄とも仲がいいし、きっと上手くいくって思ってさ。お父さん、吉川さんとも相談したんだけど、

智栄さえよければウチで、三人で暮らしたらいいかなーと思ってるんだよ」

「………」

「何、寝室はお父さんの部屋を使えばいいんだから、特に智栄が窮屈な思いをするわけじゃない。

吉川さんをお母さんって思う必要もないぞ。こう、あれだ、親戚のお姉さんが一緒に住んでるくらいの感覚でな……」

 父親がやたら調子のいい事をぺらぺらと得意げに話しているけれど、内容は右から左へと流れていく。

 この人の考えていることが常識じゃ量れないということは知っている。けど、どうしてこんな上機嫌なんだろう?

 寧ろ娘との方が歳が近いような女性と結婚するっていうのが――当の娘は喜び辛いってこと、

 まさかわかってないワケじゃないよね?

 憤りを通り越して、最早呆れる領域まで達してしまった。

「本当は、吉川さんと三人で食事でもしながら、と思ってたんだがなー、智栄は学校と塾で忙しいだろう。

だから、正式な挨拶は少し後にして、とりあえずお父さんから智栄に話してみようってことになったんだよ」

 相変わらず、父親は無神経にもニコニコと、それはそれは、喜ばしそうに会話を繰り広げている。

 やっとのことで平常心を取り戻した私は、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちで、

「そうなんだー。おめでとう、お父さん。勿論、反対なんてしないよ。お父さんには、お父さんの幸せがあるし」

 と、アカデミー賞級の名演技で頷いてみせる。

「本当か?喜んでくれるか、智栄」

「うん。吉川さんはいい人そうだし、仲良く出来そうだな。私も応援してる」

 心にも無いことを言うのは得意だ。日ごろ、この家庭で鍛えられているから。

「そうかそうかー、流石我が娘だな! お前は本当にいい子だよ、お父さん嬉しいぞ!」

 私の嘘がよほど嬉しかったのか、涙を流さんばかりの喜びようで、私の頭をわしわしと撫でた。

 表面上は笑って受け止めながら、その穢れた手で触らないで欲しいという嫌悪感でいっぱいだった。

 ・
 ・
 ・

 漸く父親と会話を終わらせて、扉を閉め息苦しい世界から解放されると、ドッと疲れがやってきた。

 フルマラソンを走りきった人みたいにベッドへ大の字に倒れこむ。

 父親が吉川さんと付き合ってるのは、まぁイイ。元々知ってたから我慢できる。

 その二人が再婚する? それでもって、この家で吉川さんが暮らし始める?

 全く予感してなかったんじゃないにしても、それが現実になれば動揺を抑えきれない。

 冗談じゃない。そんな空間でどうやって生きていけっていうの?

 今年は受験だって控えてるのに、こんなんじゃ、精神衛生上絶対よくないよ。幾らなんでもあんまりだ。

 あの人たちは、私のことなんて何も考えてない。

 私がどういう気持ちであの人たちと接して、どういう気持ちであの人たちを見てるかなんて――わかってるワケがないんだ。

 だからああいう無神経なことを平気で言える。

 信じられない――吉川さんが母親になるなんて、ましてや一緒に暮らすなんて、絶対無理。

 父親と二人暮らしってだけで十分息が詰まってるのに、吉川さんまで加わったんじゃ気が休まる暇なんて無い。

 どうせ私が気づいてないと思って、ここぞとばかりに寝室でヤラシイ事をしまくるんだろう。

 ……気が重い。これ以上、私が私でいれる場所を取らないで。

 あぁ、何だか頭がズキズキする……ショック過ぎて頭痛を感じ始めていると、パソコンデスクの上から振動音が聞こえた。

 携帯電話の音――おそらくメールだろう。

 反射的にベッドから起き上がり、パソコンデスクの椅子に掛け、携帯を開いた。


 ――――――――――――
 送信者 : 鳴沢啓斗
 件名 : 斉木さんに予約
 ――――――――――――
 本文 :
 すごいよ斉木さん。
 もう会員から予約があった。
 明日の仕事なんだけど、
 回しちゃっていいよね?
 
―――――END―――――


「え?」

 斉木さんに、予約??

 だって、私、つい数十分前に彼女のプロフィールをアップロードしたばっかなんだけど……。

 私はぽかんと口を開けたまま、鳴沢に返信を打った。


 ――――――――――――
 宛て先 : 鳴沢啓斗
 件名 : Re:斉木さんに予約
 ――――――――――――
 本文 :
 え、私さっきアップしたばっか
 なんだけど。
 超絶美人の力ってすごいね。
 勿論、彼女のスケジュールが
 OKであれば回しちゃって。
 
―――――END―――――



 よし、送信、と。

 ……しかし、凄いな。会員ページに載せて、ものの数十分で客をゲットできるとは。

 三宅の見込みどおり、彼女はきっと『Camellia』の稼ぎ頭になってくれるだろう。

 と、斉木さんの活躍を期待しているところで再度鳴沢からメールが来た。


 ――――――――――――
 送信者 : 鳴沢啓斗
 件名 : Re2:斉木さんに予約
 ――――――――――――
 本文 :
 了解。
 ただそのことで、相談がある
 んだけど。
 今電話して大丈夫?
 
―――――END―――――


 ……相談? 何だろう。


 間髪いれずにOK、と二文字だけ返信すると、鳴沢から電話がかかってきた。

「もしもし、水上?」

「もしもし……何、どうしたの」

「……ちょっと困ったことになってさ。明日の斉木さん指名の『シゴト』なんだけど」

 鳴沢の、珍しく弱気な声音が耳元から聞こえてくる。

「うん、それで?」

「明日斉木さんが『シゴト』に入るのはOKなんだけど、彼女、少しまだ不安だから、『隣で待機』してて欲しいっていうんだよ」

「なんだ、じゃあしてあげたらいいじゃん」

 初回に限りどの女の子にもやってあげてる事なんだから、斉木さんにもしてあげたらいい。

 そう思って言い放ったのだけど、

「それが……明日って急だったから、今、例のホテルを隣同士の部屋で押さえようとしたら、出来ないらしいんだよ」

「え?」

 鳴沢の説明によれば――普段は日にちにある程度余裕を持って予約を入れることが多いんだけど、

 今回はたまたま前日だったこと、そして明日が土曜日だということが災いして、どうしても隣同士で部屋をとることが出来ないというのだ。

「部屋が飛び飛びとか、階が違ってもいいなら出来るって言われたけど、それじゃ意味ないんだろ?」

「うーん……そうなんだよね……」

 神藤が所有してる盗聴器は、あくまで隣の部屋じゃないと聞こえないようになっている。

 つまり、壁の向こう側の音を聞くためのもので、範囲はごくごく狭いのだ。

「だからさ、そうなると『Splash』は使えないことになるだろ」

「うん……でも、今から他のホテル探すって言っても……条件そろえるの大変だと思うし……」

 困った。今までこういった事態なんてなかったから。

「で、そうすると選択肢は二つで、明日の予約自体を断るか――つい最近まで使ってたホテルを予約するか」

「つい最近……って、あの成陵の近くの『Rose』?」

 『Rose』は、鳴沢が言う通り、つい最近まで私達が使用していた成陵近くのラブホテル。

 でも、そこって……。

「ちょ、ちょっと待ってよ。それって、最近センセ方が見張りしてるってウワサじゃ……」

「そう。だけど、明日は土曜日だから、センセ方もそれぞれ予定があるだろうし、真っ直ぐ帰宅するんじゃないかって楽観視はできる。

それに、歓楽街と違って、成陵のあたりは週末になると人が少なくなるから、パトロールをやる意味がないって解ってると思うんだけど」

「……そうか」

 確かに成陵付近はマンションや会社が多いから、週末になるとやってないお店とかもたくさんある。

 鳴沢の話も納得できるけど……。

「でも、万が一、センセに遭遇しちゃったらどうするの? あのホテルにパトロールが入ってるっていうのを知ってる以上、敢えてそこを使うのは賢くない」

「僕も勿論そう思うよ。ただ、明日の『シゴト』を受けるには『隣で待機』が必要なんだ。隣続きの部屋がとれなきゃ予約も取れない。

今回の客はよく利用してくれるお得意様だから、今後のことを考えたら無理してでも受けておいた方がいいと思う。

特に斉木さんの値段は他の子よりも上げてあるからね。利益だって多く上がるし」

「………」

 そうなのだ。前日の予約とはいえ、一度受けてしまったら「やっぱり出来ません」っていうのはマイナスイメージになる。

 しかもお得意様ときたら、ホテルの問題で断るのは惜しい気もする……。

「どうするかは、水上が決めてくれよ。僕はその判断に従うから」

 鳴沢は、自分なりの意見を述べつつも、決断は私に委ねた。

 どうするべきだろうか。石橋を叩くか。強行突破か。

 考えあぐねていると、何とはなしについ先ほどの父親との会話が、頭の中に蘇ってくる。

 
智栄さえよければウチで、3人で暮らしたらいいかなーとか思ってるんだよ』

 背筋がゾッとした。そんな生活、考えたくもない――
早く、少しでも早く、そんな環境からは逃げ出したい。

 そんな私の夢を叶えるには、なるべく多くのお金が必要になる。

 ――早いとこお金を貯めて、家を出たい。そう願うなら、一択しかないじゃないか。

「……わかった。じゃあ、『Rose』を二部屋押さえておいて」

 そう決めるや否や、私は確りとした声で鳴沢に告げた。制服で出入りしたりしなければ、きっと大丈夫だ。

「了解。明日僕は塾だから参加できないけど、他の二人は大丈夫なのかな?」

「神藤は無理にでも来させるけど、三宅はどうだろう。ま、居なくても差し支えないけど、一応訊いてみるわ」

「うん。じゃあ、それでよろしく」

「わかった、じゃあね」

 通話を終えると、私は手早く残りの二人にメールを送った。

 ――――――――――――
 宛て先 : 神藤駿一
 宛て先2:三宅聡史
 件名 : 明日、隣で待機
 ――――――――――――
 本文 :
 一件入りましたのでよろしく。
 ちなみに、明日は私服を持参
 すること。諸事情により、
 場所はいつものとこじゃなくて
 前に使ってた『Rose』に変更
 になりました。
 神藤は絶対ね。三宅は来るか
 どうか返信して。
 
―――――END―――――



「さて、と……」

 送るものは送ったし、明日の予習をしないと。

 ……今日はどういうワケか、モヤモヤすることが多い一日だった。

 これ以上余計なことは考えたくない。経験上、そういう時には勉強に打ち込むのが一番だ。

 まずは――川崎センセの古文から、かな。

 川崎センセを思い浮かべたはずが、千葉先生や斉木さんの顔まで浮かんできてしまった。

 それを慌てて打ち消しながら、スクールバッグからテキストとノートを取り出して広げた。